母の認知症 糖尿病
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血縁関係 など

両親の老いについて 
また私が面した老いについて綴っています。



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年末に母がなくなり
先月  四十九日の法要と納骨が無事終了。


その後  お香典などいただいた方々に
返礼品が届けられたようで
次々 お礼の連絡がありました。



父が留守にしていたある日
私が電話を受けたお相手は
母の1番古い親友のYさん。


母の死後  真っ先に
キレイな枕花を送ってくださった方です。





私は小さい頃から 母に連れられて
美容師だったYさんのお店に何度も行ったのね。


七五三の時も 
成人式の時も
着物の着付けと髪の毛のセットをお願いして。


私の結婚式にも参列してくださり
花婿の夫の着物の襟元を直してくださったりしてね。



そんな風に馴染み深いおば様なので
母のこと  ひとしきりおしゃべり。



Yさんは まず

「幸せだった人から亡くなっちゃってるのよ」

と言っていたの。



「亡くなった方々を思い返してみると
   皆さん  とっても幸せだった方ばかりなのよ

   お母さんも世間に出たことなくて
   それで ずっと幸せだったでしょ」

って。


「寂しい」とか「残念」とか
そういう言葉はなく

でも かえって だからこそ
Yさんがどれだけ母のことを
母の幸せを想ってくださっていたのか
すごく伝わってきた。




Yさんは前述の通り
美容師として ご自分でお店を構え
82歳の今も現役バリバリ!


やり手で
キャリアウーマンで 
落ち着いているYさんと

自営だったので
一度も社会に出て働いたことがなく
明るさが取り柄の天然な母。



幼いながら 私は

(2人はなんだか全然違うなぁ)
(それでも仲良しなんだなぁ)

と思っていたのよね。



「あの人はねぇ  男なのよ!」

と母は何度も言っていたっけ。



母がヘンに気落ちしている時なんか

「『あなたは学生時代 
      あんなに輝いていたじゃない!
      それを思い出して!』

      ってYさんに叱られちゃった」

なんて言ってた時もあった。




母が認知症になって 入院してからも

「さっきね  Yさんのお店に自転車で行って
   髪の毛切ってもらってきたの」

なんて 妄想にも登場していたし
母にとって 忘れることはない
かけがえのない親友だったのね。



母が特養ホームに移ってからも
おばさんは何度もお見舞いに来てくださり
父のことも気にかけて
実家に寄ってくださっている
という話は父からよく聞いてました。



「お陰様で父も落ち着いています」

とお伝えしたら  おば様も安心されたよう。



若い頃はね  こんなことがあったそう。


一緒に旅行に行くことになっていて
朝  おばさんが迎えに行ったら
母は寝坊して アタフタしていたらしく

「支度出来るまで 待ってたのよ」と。


「いや  それに限らず 生前 母は
    色々やらかしてたと思います。

    ずっと  母と仲良くしてくださって
    ありがとうございました。」


娘の私からもお礼を言ったら
おばさん  ふふふ と笑って
電話の向こうに
昔と変わらない笑顔が浮かびました。



おばさんは最後に

「お母さんは私の1番のお友達でした」

と言ってくださって。



なんだか それがとても嬉しかった。




私が知る限り
母は広く人と交流するタイプではなかった。



でも  Yさんのように

「あなたが1番!」

と言ってくれる人が1人でもいたら
もう 最高だよね。



母が「幸せな人」であったのは
間違いなく Yさんとの出会いがあったから。


66年 
ずっとご縁を紡ぎ続けてくださったから。



いえ

これからも まだ続いていくんだろうな

と思います。