こんばんは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

母の認知症 糖尿病

父の衰え

介護

延命治療

ガン

死への向かい方

入院 

薬や医療

血縁関係 など

 

両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 

 

過去記事はこちらからどうぞ

 

老いを生きる 目次

 

 

 

今日書くのは

両親の老いや私が体験したことに基づいて

思ったこと 感じたことです。

 

1つの考え方として読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

母は去年6月から入院生活を送っています。

 

私は実家に行くことが多くなり

医師からの母の容態の説明に立ち会ったり

家族で今後の先行きを話し合ったりしてきました。

 

 

その中で どうも違和感があった言葉。

 

それが「管理」です。

 

 

病院で聞いた 

先生からの説明の中にあった「管理」

 

父が   母の世話をする

という意味で言っていた「管理」

 

 

病院で先生に診ていただき処方される治療や薬は

確かに必要で大切な「管理」。

 

「母を最期まで看る」という想いがこもった

父が言う「管理」もよくわかる。

 

 

でも  母は

それらの管理から抜けたかったのではないか

と思うのです。

 

 

実際 医師から

「これをしないと命が危ない」と言われた緊急処置を

自ら数値を上げて直前で回避したし

「今日が山 もって2、3日」と危篤を告げられた時も

またもや自力で復活。

 

その他にも何度か体調が悪くなることはあったけれど

その都度 点滴が外れるスピードに

周囲の看護師さんや介護士さんは驚いていたし

今は外出もできるほど この通り回復しています。

 

 

 

 

「みんなと一緒に美味しいものを食べたい♡」

 

との母の希望で外食

 

 

そして 紅葉狩りへ

 

 

 

 

薬も 母は体質的に副作用の方が強く出るようで 

認知症の薬は一切やめました。

 

他にも 多い時で8種類飲んでいた薬が段々減り

今は身体の状態を良好に保つための2種類だけ。

 

 

血糖値はもう随分前からずっと測定値が不安定で

当然 病院の先生から

「甘いものは制限するように」とか

「食事量を減らすように」

とかの指示が出ていたのですが

食いしん坊で我慢嫌いな母が守れるはずもなく。

 

当時担当の先生からは

「この患者は治る気がない」

とサジを投げられた状態でした。

 

でも なんでこんなに医者の言うことを聞かないのに

糖尿病の合併症状が出ないのか

先生は首をひねっていたそう。

 

いまだに血糖値は300台をバンバンたたき出し

測定不可の500以上出ていてもケロッとしている母は

今や「安定の高血糖ね~」と看護師さんに言われ

相変わらず合併症も出ていません。

 

母にとって喜びが原動力になっていると

現在担当の先生初め病院関係者の方々は理解してくださっていて

有難いことに母の好物の差し入れも暗黙の了解状態。

 

 

背中に帯状疱疹が出て

先生曰くのひどい状態だった時も

痛みを心配する先生に

「別になぁんにも痛くないけど」と答えた母。

 

痛みに鈍感なのは

今も助かっていることではあるけれど。

 

 

「この病状ではこうなるのが普通」

「危険な状態の対処法はこれ」

 

という病院側の管理の様々を

 

ことごとく「ソレ 私は要らないわ」

 

と断っているように見えるのです。

 

 

 

 

父がする管理も同じように

母は身体で拒否しているんだなと私が感じたのは 

今年の夏 自宅に連れ帰った時。

 

母は途中で具合が悪くなってしまい

「もう帰って横になりたい」と言って

早めに病院に戻ったのね。

 

その他の外出で昭和記念公園など

外出した時は まったくそんなことなかったのに。

 

今回の紅葉狩りの後も散々遊んで病院に戻り

「疲れてるだろうからベッドに横になったら?」

と促しても 

「何バカなこと言ってんの!あたしゃ座ってるよ!」

と妙に元気で こちらがたしなめられる始末。

 

 

 

 

家にいた時 

母はいつも時間に追われるように焦ってた。

 

認知症の症状が強くなって

薬を飲んでいた時は

暴言を吐いて ひどく攻撃的になり

自分がどんどん出来なくなることを嘆き

「ああ 早くあの世に逝きたい」と言っていた。

 

父は母をなんとか回復させようと

きっちり薬を飲ませ 歩かせようとし

心身共に母を引き上げよう引き上げようとしていた。

 

 

でも 母が倒れて入院し 歩けなくなり

認知症は治療せず 

もうこれからは車イス となった母は 

 

「なんにもしなくていいんだね」

「ここにいるのが楽しい」

「もう何も心配ない 幸せ~」

 

とすっかり安心して毎日をとても穏やかに過ごしている。

 

 

家でキリキリしていたことを

母は覚えてないようだけど

身体が覚えているんじゃないかな。

 

だから あの時家にいて具合が悪くなったんじゃ。

 

家にいて動けていたら

父も 母にとって良かれと思う管理をし続けただろうし

ずっとそのままだったもんね。

 

今が良い状態だから言えるのだけど

母の病気は 母を入院させて

母が本当に落ち着ける状態にするために

発症してくれたんじゃないか とさえ思う。

 

 

病院の「管理」も 父の「管理」も

母のために 母を想って

手を尽くしてくれたことには違いない

 

のだけれど 

当の母には合わなかったんだろうな。

 

 

 

 

以前かかっていた医師のことを

「あの先生は私の顔を見ない」

と母がプリプリ怒っていたことがあり

その先生は母に認知症があったからなのだけれど

すべての説明を付き添いの父にしていたそうなのね。

 

その先生は 私も何度かお会いしたけれど

母のことを話しているのに見つめるのはパソコンで

数値などのデータばかりを見て

10日ほど病院に通った時もベッドで会ったことはなく

母自身を見てくれてないなと私も感じたの。

 

結局 その先生とは離れることになった。

 

 

そのようなやり方でないと病院のシステムが成り立たないことも

高名な先生だったことも承知しているけれど

病状の数値やデータと母自身の状態 

その両方をしっかり診てくださる方針の病院と先生が

母には合うのだと思う。

 

 

その病院 その先生が合うかどうか

受診する側の見極めが大事で必要だと感じたことでした。

 

 

今の病院の主治医の先生は

数値やデータ それに母自身を良く診てくださっている。

 

それは 母の症状が良くなっていることからもわかるし

先生が直接母に対応してくださるときの仕草や

受ける母の笑顔からも見て取れる。

 

母は入院してすぐに

「先生 大好き♡」と面と向かって告白したほどで

感覚的に自分に合う先生だと見極めていた気がする。

 

 

 

 

実は父も4年前から続く湿疹の治療で

その見極めが必要な時期に来ていると感じていて。

 

どうやら母と同じように

薬の効果よりも副作用の方が強く出ているようで

むくみの水が足から出て 痛みもあり

今までで1番ひどい状態になっているのです。

 

 

兄も妹も私も同意見で

今の治療法はもう父に合ってないと思っていて

父に病院を変えることと

セカンドオピニオンを勧めているけれど

「そうしてみる」「いややっぱりもう少し様子を見る」

の繰り返しでもうずいぶん時間が経っています。

 

父には父のやり方があるし

どうするかの決定権も父にある

 

と思いつつも 

何度も「こんなにひどい状態になった」

と愚痴をこぼす父に この間は私もイラついて

「だったら新しい方法を試そうよ!」と強く言ってしまった。

 

 

管理って 

基本的に人を守りたいからあるのだと思う。

 

私も父を管理したくなったから言っちゃったし。

 

 

私たち兄妹は父の痛みがなくなるように

皮膚の状態が良くなるようにと思っているけれど

長年お世話になっている先生から父は離れ難いよう。

 

病院や治療法を変えることも経済的な圧迫があり

それが新しい方法を試そうとしない理由にもなっていて

今はどうにも致し方ありません。

 

 

父が合わない管理から抜けて楽になれるよう

祈るばかりです。

 

 

 

 

 

老いを生きる(44) 母 新しい場所へ

 

 

 

 

 

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子