目が見えなくなり、背中には悪性の腫瘍ができた安禄山。
身体の自由がきかなくなった安禄山は心身ともに病み、
側近である厳荘や李猪児に当たり散らしました。
李猪児は契丹出身の宦官で、安禄山に去勢されました。
医学の「い」の字も知らない安禄山に去勢された李猪児は、
大量出血で危篤状態。
生死をさまよった後、安禄山の大きなお腹を持ち上げるなど、
長年、安禄山のお世話係を務めてきました。
安禄山から鞭で打たれる回数が誰よりも多かった李猪児は、
安禄山に不満を募らせました。
ところで、自ら皇帝を称した安禄山。
即位したら、皇太子を決めなければいけません。
最初は康夫人との間に生まれた次男・安慶緒を皇太子にするつもりでした。
でも、段夫人を寵愛していた安禄山は、
段夫人との間に生まれた三男・安慶恩を皇太子とすることに決めました。
安慶恩を皇太子にしようとしていることを知った安慶緒は、
安禄山に恨みを抱いていた厳荘、李猪児と共謀し、
就寝中の安禄山を襲って、暗殺しました。
自ら皇帝を称して、わずか一年後の757年1月の出来事でした。
。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。.:*:.。oOo。
↓「歴史で旅する」の姉妹サイト「ブログで旅する」↓
ブログランキングに参加しています。
↓ここをクリック
一記事ワンクリック、いや、一日ワンクリックしてくださると嬉しいです。