安禄山の最期 | 歴史で旅する

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年表⑤

 

目が見えなくなり、背中には悪性の腫瘍ができた安禄山。

 

身体の自由がきかなくなった安禄山は心身ともに病み、

側近である厳荘や李猪児に当たり散らしました。

 

李猪児は契丹出身の宦官で、安禄山に去勢されました。

 

医学の「い」の字も知らない安禄山に去勢された李猪児は、

大量出血で危篤状態。

生死をさまよった後、安禄山の大きなお腹を持ち上げるなど、

長年、安禄山のお世話係を務めてきました。

 

安禄山から鞭で打たれる回数が誰よりも多かった李猪児は、

安禄山に不満を募らせました。

 

ところで、自ら皇帝を称した安禄山。

 

即位したら、皇太子を決めなければいけません。

 

最初は康夫人との間に生まれた次男・安慶緒を皇太子にするつもりでした。

でも、段夫人を寵愛していた安禄山は、

段夫人との間に生まれた三男・安慶恩を皇太子とすることに決めました。

 

安慶恩を皇太子にしようとしていることを知った安慶緒は、

安禄山に恨みを抱いていた厳荘、李猪児と共謀し、

就寝中の安禄山を襲って、暗殺しました。

 

自ら皇帝を称して、わずか一年後の757年1月の出来事でした。

 

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