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年表⑤

 

756年9月、粛宗はウイグル帝国に援軍を求めようと、

高宗のひ孫である李承寀、郭子儀の部下・僕固懐恩、

ソグド系蕃将・石定番をウイグルに派遣しました。

 

10月、オルド・バリク(都城。モンゴル国のオルホン川西岸)で石定番と面会した、

ウイグル帝国の第二代可汗・葛勒可汗は喜び、

自分の妻の妹を養子にしたうえで、李承寀に嫁がせました。

 

李承寀の妻はビルゲ公主に封じられました。

 

また、僕固懐恩は葛勒可汗の次男・移地健に娘を嫁がせ、

唐とウイグル帝国は結び付きを深めました。

 

11月、安禄山についていた、突厥王族出身の阿史那従礼が、

突厥、同羅、僕骨軍の5000騎を率いて、粛宗のいた霊武を襲いました。

 

霊武に慌てて駆けつけた郭子儀と葛勒可汗は、阿史那従礼軍を大破しました。

 

ウイグル帝国に感謝した粛宗は、

「長安を奪還できたら、金と絹を渡そう」と約束しました。

 

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