お互いの利害が一致した韋皇后と安楽公主は、
中宗に毒入り饅頭を食べさせて殺してしまいました。
太平公主と上官婉児は、二人が中宗を殺したことにすぐ気付きました。
上官婉児は韋皇后を背後から動かそうと企んでいましたが、
自分の初恋相手・武三思と情を交わし、
武三思が亡くなると、すぐに愛人をみつけた韋皇后に嫌気がさしていました。
それに、韋皇后には、武則天のようなカリスマ性がありません。
「韋皇后は女帝になれない」と判断した上官婉児は、
太平公主と協力して、中宗の遺勅(遺言)を偽造しました。
皇帝が崩御したら、皇太子が皇帝に即位するのが一般的ですが、
皇太子だった李重俊はクーデターに失敗して、斬られてしまいました。
このままでは、韋皇后と安楽公主が出しゃばってしまいます。
そこで、韋皇后と安楽公主をけん制するために、偽の遺勅を準備したんです。
上官婉児は韋皇后と臣下を朝廷に集め、
「陛下から預かっていました」と言って、偽の遺勅を読み上げました。
偽の遺勅だと思ってもいない韋皇后は驚きました。
偽造した遺勅の内容は、
①第四子・李重茂を皇帝にすること
②妻・韋皇后が摂政、弟・李旦が政治顧問となって、新しい皇帝を支えること
の2つでした。
この時、李重茂は15歳。
摂政や政治顧問をつけなければ不安な年齢でした。
形だけではありますが、李旦は昔、皇帝になった経験があります。
李旦を政治顧問にすることで、韋皇后の権力を弱めようという考えです。
安楽公主派の宗楚客は、
「李旦を政治顧問にすると、新しい皇帝が政務を行いにくいのでは」
と反対しましたが、
右僕射道中書門下三品・蘇瓖は、
「遺勅に従わないのはいかがなものでしょうか」
と宗楚客に反対しました。
710年、遺勅に従って、李重茂が即位しました。
(以下、李重茂 → 殤帝)
韋皇后と安楽公主は反対しませんでした。
というのも、二人にとって、殤帝はつなぎ。
準備が整ったら、殤帝を排除するつもりだったんです。
韋皇后と安楽公主の意を汲んだ宗楚客は、
殤帝はもちろん、李旦、太平公主の3人をさっさと排除しようと思いました。
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