649年、太宗が崩御し、皇太子・李治が即位しました。
(以下、李治 → 高宗)
太宗が崩御したからといって、武照が李治と結婚できるわけではありません。
皇帝が崩御したら、宮中で子どもを授かった女性以外は皆、出家するのがしきたり。
武照が高宗と恋仲になっても、武照は出家しなければいけませんでした。
武照は感業寺で、尼僧になりました。
感業寺は隋の時代に建てられた、皇室専用の仏教寺院です。
お寺で出される食事は、宮中で出されていた食事に比べると、当然粗末なもの。
武照と一緒に出家した女性達は、不平不満を訴えました。
でも、給金のほとんどを宦官に渡して、
宮中で質素な生活を送っていた武照には、十分耐えられる食事でした。
「陛下が私を宮廷に戻してくださる」
そう信じて、武照はお寺で暮らしました。
高宗は「先帝(太宗)の供養をする」など、
もっともらしい口実をつけて、感業寺に通いました。