昨年に香住JCの海防艦戦没者慰霊祭に参列していただきました久野潤さん。
香住沖海戦があった8月14日に岡見公園で遭遇!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200826/14/rekisisuki/40/82/j/o1080101814809976779.jpg?caw=800)
香住JCの戦没者慰霊祭の案内が無かったので、個人的に供養に行こうかなと思ったそうです。
拙者も同じ想いでござる。
8月14日(金)に戦没者の慰霊碑前で供養と平和への祈りを込めて顕彰。
この日も雨が降らず、海からの心地よい風でした。英霊のご加護ですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200826/14/rekisisuki/7f/b4/j/o1054108014809992191.jpg?caw=800)
久野潤(くのじゅん)さんのお言葉。
「戦没者の慰霊と共に顕彰もしなければならないですね。この国に尽力した人の死を無駄にしてはならない。」
「戦争を語り継いで学ぶ事が平和につながる。」
拙者も同じ想いでござる!
久野潤さんは近現代史に詳しく、多くの戦争経験者の話を聞いている人物です。
「大阪観光大学 国際交流学部 専任講師」
「名城大学農学部 非常勤講師」
「日本国史学会 事務局長」でもある素晴らしい人です。
詳しくは
FB久野潤さん
顕彰とは、「個人や団体の著名でない功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめること」
まさに海防艦の水兵ですね。
命を懸けて貨物船を守り、敵潜水艦を撃退しようと戦いました。
第47号海防艦と第13号海防艦の任務は、補給物資を朝鮮半島に輸送護衛。
ソ連が南下侵攻してくる朝鮮(当時は日本)を救援する途中でした!!
和平交渉中で終戦前日の8月14日に朝鮮半島を守ろうとしていたのです!
この事を日本人も韓国人も知るべきです。
平和とは、ただ願うだけではダメでしょう。
戦争の原因を単純に「国を愛したから」とか「戦力を持ったから」と思っているのが多い日本人。
戦争に行く人の行動理由「お国の為に!」と戦争の原因とを勘違いしている人が多いです。
戦争となってしまった原因は複雑で様々な経緯があります。
「近現代史を学ぶ事は戦争の美化につながる」と思っている人がいますが、それは間違いでしょう。
まず近現代史を学び、なぜ戦争になったのか?原因を探求し、戦争を回避するにはどうすれは良かったのか?方法を考えなければなりませんよね!
過ちを反省し、未来は戦争にならないようにしなければなりません。
歴史に興味ある人や政治家だけが学ぶものではありません。
(近現代史を理解していない政治家もいますが…。)
政治を動かすのは世論です!!
一般有権者である我々も基礎知識として近現代史を学ぶ必要があります。
世論が、外交にも影響します。
一昔前は「国を愛しちゃいけません。」
「近現代史を学んじゃダメです」
何て言っている政治家がけっこういました。
国から給料を貰って国の為に活動しなきゃならないはずなのに…。
その意見や思想に賛同している世論もありました。
近現代史を知らないと海外からの歴史認識圧力(特に韓国・中国)に動揺してしまいます!
そもそも先の大戦で戦っていた中国とは蒋介石が率いる中国国民党(中華民国)であって、毛沢東が率いる中国共産党はゲリラ的抵抗で、まだ建国していませんでした。
さらに真珠湾攻撃でアメリカと開戦したのは有名ですが、同時に日本はイギリス・オーストラリア・オランダ等とも開戦しました。
その事すら知らない日本人も多いですね。
戦後はGHQによって情報規制がありましたが、今の時代はインターネットで手軽に真実の近現代史を学ぶ事ができますよ♪
戦争を美化するのではなく、この国の為に尽力した先人を尊敬しましょう!
さて、慰霊碑から移動して、岡見公園展望台へ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200826/14/rekisisuki/25/f2/j/o1080060714809976784.jpg?caw=800)
住職の読経は無かったですが、施餓鬼供養の様子です。
お供え物で持参した香住の地酒「香住鶴」を海に捧げました。
岡見公園が清酒の香りに包まれて英霊も喜んでいる事と思います。
第13号海防艦の生存者であった菅野さんも昨年亡くなられてしまいました。
プチ施餓鬼供養の後は、レンタルスペース岡見(旧岡見亭)で休憩。
昨年から喫茶スペースとして営業しており、海上ジオタクシーの事務局にもなってます。
FBレンタルスペース岡見![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200826/14/rekisisuki/ea/f1/j/o1080060714809976787.jpg?caw=800)
海からの風が心地よく、美味しいヨモギ餅を食べながらコーヒー休憩。
久野先生のお話をいろいろ聞きました♪
香住沖に沈んでいる海防艦の沈没場所「軍艦の瀬」は漁礁となって、地元の漁師が魚を釣ってますが、海外でも同じように漁礁となっているみたいです♪
さて、久野潤さんは近現代史だけでなく、戦国史も詳しくて、羽柴秀吉による「鳥取城の兵糧攻め」についても語っていました。
開戦前に鳥取の米を高値で買い占めて、備蓄米を少なくしておいてからの兵糧攻め!
補給も断たって、羽柴軍は兵力を温存し攻略する事ができました。
鳥取城主の「吉川経家」は自身の命を引き替えに降伏し城兵と領民を救いました。
これは大東亜戦争にも共通する所があります。
食糧や薬の補給が少なく、飢餓や病気との戦い。
補給予定の輸送船はアメリカ潜水艦等に沈められてしまいました。
そして、自分の命を犠牲にしての戦い、
さらに戦後、不当な刑に服して殉じた人もいました…。日本国民を救うために!
そもそも、アメリカとの開戦前の状況としてABCD包囲網による石油等の流通規制で、日本は極端な物資不足(兵糧攻め)状態になっていました。
そんな困窮状態だったので、「開戦やむ無し」との意見もありますが、果たしてそうでしょうか?
兵法を知っていれば、同時多方面に戦力を分散するのは愚策でしょう。
もし、アメリカと戦うなら先に中国と停戦講和すべき。
それにアメリカとイギリスを敵にして、どう停戦講和するつもりだったの?
拙者もまだまだ学ばなければならない事が多いでござる。