第13号海防艦の生存者、菅野水兵長が戦友の供養にお越しになったでござる。


 まずは思い出の地、矢田川河口。

 沖で漁船に助けられて、 ここの真水で、海水の塩でベトベトになった体と衣服を洗ったでござる。

日本史と日本海が好き!-菅野水兵長1

 戦後、菅野さんは東京で教諭となり、その教え子達が今回の香住行きを企画・連絡していただきました。
 68年ぶりの訪町でござる。


 そして今回の目的地、岡見公園の戦没者慰霊碑へ
 東京から持って来た、聖水を慰霊碑に汗

日本史と日本海が好き!-菅野水兵長2

 「英霊の皆様、群青の海を眺めて安らかに」と慰霊碑に語りかけ、カゼ涙が止まりませんでした。

 
 そして皆で線香を。

日本史と日本海が好き!-菅野水兵長3

 1977年に慰霊碑を建立した時に香住JCの先輩達が、遺族・戦友の方々を探しましたが、全員には連絡が付きませんでした。

 菅野水兵長にも連絡が出来ず、香住に慰霊碑がある事すら知りませんでした。

 

 教諭であった菅野水兵長が教え子たちに戦争の事を教育していて、第13号海防艦に乗船していて香住沖で撃沈した事も伝えておりました。


 先日、偶然に教え子がこのブログを発見!
 「元気なうちに香住へ供養に行こう」と、なったでござる。

日本史と日本海が好き!-菅野水兵長4

 慰霊碑の前で、戦争当時の事を懐かしそうに菅野水兵長に語っていただきました。

 当時の勇気ある香住の人達に、凄く感謝されておりました。
 

 慰霊碑で鎮魂の後は、思い出の地その2。

 助けられて民泊した呉服屋「吉本邸」へ。

日本史と日本海が好き!-菅野水兵長5

 撃沈した夜、着の身着のままで救出された乗組員達は、民家に2~3人ずつ泊めてもらいました。


 菅野水兵長は、ここのおばあさん(故吉本げんさん)に親切にしてもらった事、別れ際にお守りを渡され「どうか御無事で」と言われた事を今でも覚えていると、語っていただきました。

日本史と日本海が好き!-菅野水兵長6

 そして今回、その時のお礼として、東京のお守りを孫の吉本洋介さんに「家内安全に」と願いを込めて渡されたでござる。


 菅野水兵長、今回の訪問でいろいろ教えていただき、ありがとうございました。

 いただいた日本酒は来月の海防艦慰霊祭で使わせていただきます。


 どうか長生きして、これからも戦争の事を伝えていただきたいでござる。