最近の中学生は、戦争と平和について、良く学んでいるみたいでござる。

 令和7年7月31日(木)の日本海新聞の但馬版に掲載されていた、「夢が丘からの眺望〜地域や未来をみつめて〜76」のコラムを紹介いたします。
 

 ちなみに、夢が丘中学校は新温泉町の湯村温泉近くの学校です。

 

 「過去の戦争から学ぶ」と題して東京の修学旅行にて靖国神社「遊就館」で学習した感想が素晴らしい!

 

 遊就館は、明治以降の戦争の歴史を解説し、兵器や遺書等が展示されている、資料館です。

 戦争を肯定し、賛美している極右的施設だ!

 などと誤解している人も多いですが、とんでもない!

 戦争の経緯や歴史を伝えて、平和を考え願う施設です。

零戦52型 

 

 夢が丘中学生は、遊就館で学び、「過去の戦争の時代を生き抜いて、その体験や出来事を現在につないでくれた人がいるからこそ、私たちの命が今あると感じました。」

 

 「なぜ戦争が起こったのか過去の事実を学び、どのような未来にしたいのかを考える」

 「二度と戦争が起こらないように平和を願うだけでなく、行動しなければならないと思います」

 と、語ってくれています♪

 

 この生徒達の教師が素晴らしい教育をしているのだなと、感じました。

 

 素晴らしい記事!拙者も同じ思いでござる。

 

 我が国には「平和!戦争反対!」と叫んでいる人は多いが、戦争の経緯を学んでいる人は少ないと思います。

 

 我々の世代は戦争の経緯については、詳しく教えてもらえなかったような気がします。

 原爆や沖縄の悲劇については、教育やテレビで学びましたが、「近現代史・愛国心・郷土愛」を語る事すらタブーな時代だったような気がします。

 

 なぜ、戦争になったのか?

 当時の近隣諸国の状況は?

 ブロック経済、ABCD包囲網。

 通州事件。

 明治初期のロシアによる攻撃。

 白人優位の人種差別。

 

 戦争をしなかったら、どうなっていたか?

 戦争を回避するには、どんな方法があったか?

 

 まだまだ、学ばなければならない事が沢山あります。

 これからでも遅くありません。

 これからも、戦争を回避するには、どうしたらいいのか?

 国を守り平和を維持するには何が必要か?

 

 「武器を持たなければ戦争にならない」なんて、お花畑みたいな妄想平和主義ではなく、現実的にどうすれば良いのかを考える事こそ、志半ばで亡くなられた犠牲者の供養や慰霊になると思います。

 

 その世論が政治を動かし、真の平和へと導かれると思います。


 しかし、戦争の経緯を知らない国民が多いので、国益や安全保障を失う平和へと導かれています。


 技術の流出、食料自給率の低下、軍事力の軽視などですね。

 平和であっても、経済や軍事圧力に屈してしまいます。


 物理的な直接攻撃ではなく、教育・マスコミ・SNS・政治家を使って、間接的に侵略されております。

 

 今は、ネットで戦争の経緯について簡単に知る事ができます♪

 中学生に負けないように、学びましょう!!

 香住沖海戦から80年目の2025年は、6月7日(土)13時頃から海防艦沈没場所で戦没者慰霊祭が営まれました。
 主催は一般社団法人 香住青年会議所(香住JC)
 香住JCのホームページ
 


 香住JCの案内状があったので、東京から島田潤(第13号館防艦戦記著者)さんも参加。
 第13号海防艦戦記の寄付もありがとうございます。
 
 海上慰霊祭は香住高校の実習船「しりうす」等に乗って向かいました。
 久しぶりの海上慰霊祭、ありがたい事です。
 前回は2002年でした。

 ちなみに、香住沖海戦は終戦前日1945年8月14日の日米海戦です。
  香住沖海戦

 香住沖、約6kmの海域に到着。
 第47号海防艦沈没現場にて法要。
 住職2名による、読経と施餓鬼供養していただきました。
 第47号海防艦の生存者だった「細川長四郎」さんの息子「細川昭」さんも乗船して、戦没者を弔いました。
 第47号海防艦撃沈

 第13号海防艦最後の戦い

 施餓鬼供養に使う御神酒(香住鶴)は香住JCが配ってくれました。

 参列者の皆が御神酒(香住鶴)を日本海へ。
 日本酒の香りで清らかになったような感じでした。
 英霊も喜んでいると思います。

 海防艦が沈んでいるこの海域は、沈没艦が漁礁になっていて、魚が良く釣れるそうです。
 魚たちも、酒を喜んでくれたかな(笑)

 海上慰霊祭が終わり帰港する途中に、ふと空を見上げると…。

 虹のような彩雲が現れました!(写真では見にくいですが)
 梅雨の時期の晴れ、べた凪、彩雲!これは偶然でしょうか。
 英霊が喜んでくれているのだと思いました。

 船から降りた後は、島田さんと岡見公園の慰霊碑へ。
 戦地巡礼で多くの慰霊碑を見ている島田さんが、「香住の慰霊碑は素晴らしい!」といつも感心してくれております。

 中央公民館の慰霊祭まで時間があったので、古民家喫茶「岡見」で海を眺めながら、海外の戦地について教えていただきました。

 さて、場所を変えて15時から香住区中央公民館へ!
 浜上町長や来賓・一般参加を含めた、海防艦戦没者慰霊祭です。

 香住JCの先輩住職を含めた、8名もの僧侶による、法要でした!
 お忙しい中、ありがとうございました!

 読経の後に参列者による献花。
 さすがに、文化ホールでの焼香は無理ですので。

 1人づつ祭壇前で手を合わせて、戦没者の冥福を祈りました。
 英霊も喜んでいると思います。

 慰霊セレモニー後は、第47号海防艦生存者ご子息の講演。
 元機関兵「細川長四郎」さんのご子息「細川昭」さん(73)か講師。

 

 長四郎さんは、家族にあまり戦争の事を語らなかったようです。
 (戦争経験者あるあるですね。)
 

 家族が戦争のメモ書きを見て、長四郎さんにいろいろと聞いて、ようやく戦争の話をしたそうです。

 海防艦
 機関兵は船底の機関室が任務場所。

 撃沈されると、逃げ遅れる危険な場所でもありまあす。


 長四郎さん達は、幾多の戦闘で戦友たちの死を見てきたそうです。
 第47号海防艦戦記

 

 アメリカ軍潜水艦「トースク」の魚雷攻撃を受けて、撃沈。
 当時の秘密兵器である最新型魚雷は、音響を探知する誘導魚雷だったので、エンジンの音が大きな機関室は危険だったと思います。

 そこから長四郎さんは脱出しましたが、泳ぎが苦手!
 (戦争末期の海軍あるあるです)
 香住沖で絶望しながら、浮遊物につかまり5時間くらい漂っていたそうです。

 そこに現れたのは、香住の勇敢な漁師達!
 生存者を漁船に乗せて救助しました!

 まだ敵潜水艦が潜んでいる可能性がある危険な海域で!
 (当時漁船であろうと、攻撃されました)

 長四郎さんは、香住の人達に感謝していたそうです。
 そして、翌日8月15日の終戦。
 舞鶴基地を経由して、故郷の栃木に帰りました。
 
 時は流れて生前に長四郎さんは、息子の昭さんや家族と一緒に栃木から香住へ旅行に来たそうです。
 岡見公園の海防艦戦没者慰霊に手を合わせ、海を眺めていたそうです。
 戦争当時の事や、戦友を思いだしていたのでしょうね。
 
 帰ろうと声をかけても、数時間も岡見公園から離れなかったそうです。
 戦友と語っていたのでしょうね。

 長四郎さんの没後は、昭さんが父親の戦争体験を後世に伝えようと奔走し、再び香住にも来ていただいたようです。
 栃木(宇都宮)から遠路ありがとうございました。


 慰霊祭終了後、香住JCの後輩達が、慰霊祭で残った花を配っておりました。
 ありがたくいただき、岡見公園の慰霊碑に持って行き供えました。

 最後の戦没艦・第13号海防艦戦記著者の島田潤さんと一緒に。

 島田潤さんの恩師、亡くなられた菅野昭さん(第13号海防艦生存者)も喜んでいると思います。
 東京から遠路、慰霊祭に参加していただきありがとうございました。

 東京御茶ノ水で、終戦80年「アジア・太平洋の戦跡訪問」写真展、6月22日(日)まで開催お疲れ様です。
 アジア・太平洋の戦跡訪問

 戦没者慰霊とは、平和を祈り戦争を学ぶ機会でもあります。
 沈没した2隻の海防艦が朝鮮半島を救援しようとしていた事も知って欲しいですね。

 朝鮮半島を救援しようとしていた日本軍
 国の為、戦友の為、後世の人の為に戦った人達の志は尊いものだと思います。

 戦没者の犠牲を無駄にしないように、彼らの想いを後世に伝えるべきですね。

 その行動が戦没者への一番の供養になると思います。
 香住JCだからこそできる誇れる事業!今後とも慰霊と供養、よろしくお願い申し上げます。
 生存者メッセージ&慰霊祭動画 


 そして、香住JCによる香住沖海戦の出前授業!
 香住だけでなく、近隣の子供たちにも戦争と平和を伝えております!

 
 2025年度香住JC理事長は藤原靖久君!
 スローガンは「ー新円ー時を超える価値の創造」です♪

 これからも時を超えた絆を大事にして海防艦慰霊事業と継承よろしくお願いします。
 
 活動の様子は香住JCのFacebookページにもアップされています。

 インスタグラムでも情報発信しております。
 Instagram香住JC

 

 今後とも、よろしくお願いいたしますね~♪

 香住沖海戦から79年目の今年も、岡見公園にて海防艦戦没者慰霊が営まれました。
 主催は一般社団法人 香住青年会議所(香住JC)
 香住JCのホームページ
 

 今年も新型コロナの感染を警戒して、5年前までのような慰霊祭は中止として、香住JCのメンバーと香住JCのОBである両界院の石部住職と遺族である中井さんのみでの縮小開催でした。

 写真は香住JCのFacebookページから拝借しました。
 ちなみに対外的に自粛との事なので、香住JCのОBである拙者はこの日も参列せず、8月14日に個人で慰霊しました。
 (香住沖海戦は終戦前日1945年8月14日の戦闘だったので。)
  香住沖海戦

 香住JCの後輩達が意思を引き継いで頑張ってる姿は嬉しいものです。
 令和6年8月4日(日)に岡見公園の海防艦戦没者慰霊碑前で供養と平和への祈りを込めて開催。
 

 少人数でも、今までどおり住職による法要。
 盆月の忙し中、ありがたい事です。

 お供え物も今までと同じみたいです。


 そして、香住JCメンバーでの焼香。

 

 戦没者慰霊をきっかけとして、皆様に近現代史を知っていただき、戦争を学んでもらいたいです。
 そして、なぜ戦争になったのか?も学び、原因を探求して欲しいです。

 戦争を回避するにはどうすればいいのか?を考えなければなりませんよね!

 それが平和へと繋がると思います。

 さて、慰霊碑から移動して、展望台へ。
 

 施餓鬼供養の様子です。
 石部住職の読経と共に供え物を海に捧げます。
 インスタグラムでも情報発信しております。
 Instagram香住JC


 戦没者慰霊とは、平和を祈り戦争を学ぶ機会でもあります。
 沈没した2隻の海防艦が朝鮮半島を救援しようとしていた事も知って欲しいですね。

 朝鮮半島を救援しようとしていた日本軍
 国の為、戦友の為、後世の人の為に戦った人達の志は尊いものだと思います。

 戦没者の犠牲を無駄にしないように、彼らの想いを後世に伝えるべきですね。

 その行動が戦没者への一番の供養になると思います。
 香住JCだからこそできる誇れる事業!今後とも慰霊と供養、よろしくお願い申し上げます。
生存者メッセージ&慰霊祭動画 

 

2013香住JC海防艦慰霊&菅野水兵長第13号海防艦の生存者、菅野さんに当時の事を語っていただきました。 戦友たちと我々への熱いメッセージです。 当時の事を知る人は少なくなってきていますので貴重な映像です。 1977年から続いている岡見公園での香住JC慰霊祭事業も紹介いたします。 戦没者を慰霊し平和を祈っております。 平和を願うなら、まず戦争の事を学...リンクyoutu.be

 


 そして、香住JCによる香住沖海戦の出前授業!
 香住だけでなく、近隣の子供たちにも戦争と平和を伝えております!

 
 2024年度香住JC理事長は吉川康治君!
 スローガンは「笑花乱舞  ~笑顔と共感でまちを満たそう~」です♪

 左側↑が吉川理事長。

 これからも笑顔と共感で海防艦慰霊事業と継承よろしくお願いします。
 
 毎年慰霊碑周辺の清掃も、お疲れ様であります!!
 

 来年はいよいよ戦後80年!
 今後とも慰霊祭よろしくお願いいたしますね~♪

 護国神社の近所にある姫路城!

 水掘で船から石垣を観るのも雅だが、ヤッパ天守に登城しなきゃ!
 姫路城の魅力は現存天守群だけじゃない!
 広大な城域の櫓や石垣や堀も現存しているでござる!
 写真を沢山撮ったので、見所を解説!
 自分の思い出用として(笑)
 これから姫路城に行こうと思っている人も参考にしてくだされ。
 
 中央正面の大手門をくぐり三の丸広場から観る大天守!
 
 三の丸広場までは入城無料!
 Wi-Fiも無料で接続できるので、活用しよう♪
 SSID:HIMEJI_Free_Wi-Fi
 
 市民の憩いの場で羨ましい。
 JCの大会やイベントで、よく使われております♪
 奉仕と友情、懐かしい。
 
 石垣を観ながら、チケット売り場へ♪
 入城料は大人1000円、子供300円、団体(30人以上)2割引。
 チケット売り場を出ると菱の門。
 大きく華麗な外観である。
 二階や塀の鉄砲狭間から敵を迎撃できる、外枡形虎口の構造。
 登城は攻める側の気持ちになって進もう(攻めよう!)
 
 菱の門をくぐると、江戸時代の姫路城鳥瞰図。
 素晴らしい大規模な城郭!
 これを見て、今は無き櫓を妄想しながら、攻めよう♪
 

 鳥瞰図の天守側にある「三国堀」 
 水面に写った城も綺麗だが、昔の堀の石垣を石垣で埋め立て改修た箇所があり、昔の堀を妄想すると萌えるでござる。
 三国堀と天守の間に櫓があったのだが、復元はされていない。
 無い方が天守群が良く見えるからかな…。
 

 さらに、天守側に近ずくと「るの門」!
 天守群からの非常口みたいな感じで、最短距離で出入りできるが、少人数しか通れない。
 間道(抜け道)だけど石垣に大きな石も積んであり、かつては門扉があったらしい。
 
 ここを進んでも天守に行けるが、帰り道でも通るので、正攻法で順路から進もう。
 「いの門」を超えて「ろの門」
 この辺の石垣は綺麗ゆえ、復元したものかと。
 天守への門は「いろは」順に命名されている。
 「ろの門」を通って左に行くと西の丸「化粧櫓」
 「ろの門」の裏側。
 脇戸付き高麗門になっている。
 門を開けた状態の所に屋根が付いているのが特徴。
 
 ろの門から右の坂道。
 「暴れん坊将軍」で、おなじみの風景でごさる。
 
 坂道を上った所にある「はの門」
 櫓門になっており二階から迎撃できる。
 
 「はの門」の裏側。
 櫓門二階部裏側には窓や鉄砲狭間がない、
 門を通ると階段になっていて、敵が侵入しても3方向から迎撃できる。
 
 はの門を通って天守側に進み左に上って「にの門」
 かつては正面の天守前に櫓があって迎撃できた。
 写真の左上にあるのが、にの門櫓。
 
 細道の坂を上がって「にの門」
 本丸の隅櫓になっていて、二階から迎撃できる。
 
 にの門櫓は天井が低く、直角に折れている。
 これも敵の侵攻を防ぐ工夫。
 当時の日本人は身長が低かったので、しゃがまず通れたであろうが、今の人は頭をぶつけないように注意!
 拙者は大丈夫でござる(笑)
 
 にの門をくくると、天守群が間近に。
 乾小天守の左下に「ほの門」がある。
 
 「ほの門」を通って「水の一門」へ
 茶色い土壁で秀吉時代?と伝わる、粘土と砂利を混ぜて造った「油塀」があるのだか、写真が消えてしまった…。
 
 左から「東小天守」「ロの渡櫓」「乾小天守」
 右側にチョロっと油塀が写ってる♪
 
 乾小天守を左に見上げながら、「水の二門」へ
 右の櫓で防御されてる。
 
 「水の二門」を通った裏側。
 右は乾小天守の石垣。
 
 正面に「水の三門」左に「乾小天守」の石落としが見える。
 
 「水の三門」を通ると大天守が目の前に!
 「水の四門」に入る。
 
 「水の四門」を通って裏側、階段になっている。
 内と外と小さな枡形虎口になっている。
 鉄壁な防御すぎるわ。
 
 いよいよ大天守へ!「水の五門」
 ここらはトイレが無いようなので、用心で入城せず大天守の南西にある、トイレへ♪
 
 「水の五門」を通ると玄関。
 袋を渡されて靴を入れ、大天守の内部へ、
 
 ここから最上階まで上がるのだか、たぶん混雑しているので、皆がじっくり観察できると思う。
 なので、解説は省略。

 

 

 大天守内部は戦時の倉庫のようなものかと。
 当時は武具や防具等の戦の必需品が貯蔵してあった。
 それを妄想しながら、観察してくだされ。
 
 大天守の窓から、小天守が観れる。
 どれも三重櫓で、他の城なら大天守級でござる。
 乾小天守の火灯窓は雅でござる。
 
 大天守を降りて渡り廊下へ。
 途中に当時の城下町を復元した模型がある。
 (写真は南東からの視線)
 山陽道を城下町に取り込んで、領民や他国の武士に威圧を感じさせていたであろうかと。
 
 いよいよ出口。
 大天守の石垣裏側も観察しよう♪
 
 そして出口の「水の五門」へ
 
 天守群から出て、南側「備前丸」
 高く美しい石垣と大天守の大きさが感じられる。
 
 この備前丸の南側にも櫓や塀で囲まれていたが、今はトイレがあるのみ。
 城下から、大天守の石垣が良く観えるように、復元はしないのかな。
 
 大天守の南東側「備前門」
 
 ここからは、守る側の気持ちになって進もう。
 
 「備前門」たぶんここから右側に塀や櫓があり、敵の侵入を防いでいたのであろう。
 この裏側の石垣に、石棺が転用されている。
 
 備前門を出て左に行くと門番の控え所がある。
 (進入禁止)
 最短ルートで城外に出れる裏口(搦手)なので、防御や警備が厳重にできるようになっている。
 
 「備前門」を通って右に曲がる。
 右側は備前丸の石垣。
 左側は帯郭櫓(腹切丸)があり、出口は、小さな石段の下になっている。
 (進入禁止) 
 正面の先には、「太鼓櫓」(への櫓)
 搦手(裏口)からの本丸への最終防衛ラインで直線だが坂道で三方から迎撃できる。
 
 太鼓やぐらの「りの門」をくぐって二の丸へ。
 
 お菊井戸がある広い曲輪で、「りの一渡櫓」には大名行列の様子が展示されている。
 二の丸出入り口「ぬの門」
 3階建で、城内随一の櫓門で威圧感がある。
 
 ぬの門を出ると、備前丸の石垣。
 扇の勾配で美しい♪
 
 拙者が注目したのはその先の石垣。
 中途半端な高さの石垣なのだが、かつてはここに「りの櫓」があり、通り抜けなかった。
 
 りの櫓跡を通ると備前丸の石垣の先に大天守がチラッと見える。
 かつてはこの石垣の上に櫓があったのだが、これも復元はされてない。
 復元した姿を妄想で、楽しもう♪
 
 そこから、天守の反対側に進むと「いの門」へ戻る。
 「いの門」城内側。
 
 ここを出ると菱の門だが、門の右側に進み西の丸を目指そう♪
 西の丸から天守を望む絶景場所。
 大天守と西小天守と乾小天守の角度が素晴らしい!
 石垣好きには樹木が邪魔かな…。
 
 西の丸は庭園になっており、観光客も少なく休憩にはいいかも。
 
 西の丸南東にある「カの櫓」
 目立たないが、千鳥破風の二重櫓。
 
 西の丸南西側には、「ワの櫓」があり、そこから「百間廊下」に入る。(追加料金無し)
 
 ここも入って見学しよう!
 長い廊下の途中、「ヲの櫓」付近で天守を望む事ができる。
 左側の櫓が、なんだか驚いている顔にも見える(笑)
(゚∀゚)
 
 化粧櫓への廊下だが、所々に展示物がある。
 床も輝いて素晴らしい廊下♪
 左側は西からの敵を窓から迎撃する防御施設でもある。
 
 この西の丸は池田家の後に城主となった本多家が整備した、平和な江戸時代の雰囲気がある。
 
 百間廊下出口の化粧櫓は千姫ゆかりの櫓で、資料も展示されている。
 (千姫・本多忠刻復元着物展示・有料)
 化粧櫓を出て、菱の門を通り三の丸へ戻る。
 
 時間があれば、本丸を東側から観よう!
 
 二の丸の石垣を観ながら、東に移動。
 
 東端まで行くと、石垣が変わってる。
 南側から写真中央の『太鼓櫓』(への櫓)と右側の『帯郭櫓』を撮影。
 
 石垣の中腹は、自然の崖で姫山の地形を利用した感じ。
 石垣の積み方も野面積みで、戦国期のものかと。
 石垣の積み方を観るのも、築城年代の変化を感じる姫路城の魅力でござる。
 
 『帯郭櫓』(腹切丸)を回り込んで東側へ。
 左から帯郭櫓、大天守、帯の櫓。
 特に「帯の櫓」の石垣は姫路城随一の高さで扇の勾配が美しく威圧感がある。
 姫山岩盤の外側に築いた「井戸曲輪」で「帯の櫓」には井戸がある。
 
 城の東側を撮影するのは日光を考慮して、朝がオススメでござる。
 
 さらに北側に進むと、樹木を覆われて石垣が見えない。
 北東側から撮影。左から「ヘの渡り櫓」「大天守」「東小天守」「ホの櫓」かな。
 
 櫓が重なって重厚な感じであるが、櫓の下は樹木が邪魔をしている…。
 
 姫路城は櫓だけでなく、水堀も要チェク!
 帯郭櫓の近くまで引き込まれた、内堀。
 城内の水運輸送用に利用されていたとされる。
 水堀を囲んだ石垣も素晴らしい!
 かつては、水堀石垣の上にも塀と櫓が築かれて防御していたでござる。
 
 城の北側には、歴史博物館があり、城や姫路の歴史の展示物があるので、ぜひ観覧してくだされ。

 大人200円・高校生以下無料!

 
 城の東側には動物遊園地もあり、子どもと一緒に楽しめる♪
 大人250円・小人50円・5歳未満無料!
 
 城の南西部には日本庭園の「好古園」もあり、寛げる。
 大人310円・小人150円・就学前児無料!
 姫路城の入場券との共通券もありお得に入園できる。

 大人1050円・小人360円・5歳未満無料!

 
 姫路城の周辺にはグルメ店が多数あり、1日中楽しめるでござる。
 
 姫路城が好き過ぎて長々と書き過ぎてしまった?が、最後までご覧いただき、かたじけない!

 来年の令和7年は香住沖海戦から80年目の節目となります。
 なので、久野潤さんに誘われて、姫君護国神社の春例大祭に参列してきたでござる!
 令和6年(2024年)5月2日(木)
 姫路護国神社の入口鳥居。
 姫路城の南東にあるでござる。
 
 今回、同行してくれたのは一般社団法人 香住青年会議所(香住JC)の吉川康治理事長!

 香住JCのホームページ
 

 しかも、吉川理事長に運転してもらって♪


 姫路護国神社には、明治元年以降の国難に殉ぜられた播磨・但馬地区出身の「みたま」56,988柱命が祀られております。

 但馬には浜坂や朝来(生野の変)に有名な護国神社があり、香住にも八坂神社の境内にあります。

 

 英霊を偲び慰霊する例大祭的な行事は、播磨と但馬地区を合わせて姫路で開催されます。


 「奉献 播磨 但馬地区」と書かれた狛犬
 強そうな狛犬が神社を守ってます!


 開会まで時間があったので、神社を散策〜♪


 入口のテントで、ぜんざい(100円)を販売してました♪
 美味しく塩昆布付きで、お買い得!
 英霊のご加護かな。
 この後すぐ売り切れたので、危なく食べれないところでした。
 
 さて今回、誘っていただいた久野潤さんと再会して記念写真!
いろいろと教えていただきありがとうございました。
 香住JC理事長の吉川康治君は香美町議会議員でもあるので、来賓席に案内!
拙者も便乗して、来賓席にて春季例大祭の様子を近くで見ることができ感謝。

 神事だけではなく各種代表者挨拶や歌や舞もあり、素晴らしい大祭でした。
 横の壇上から拝見するこどができました。

 英霊を偲び、慰霊し顕彰する護国神社。
 歴史を振り返り平和を願う参列者代表者挨拶に胸が熱くなったでござる。

 この想いを香住に持って帰って、吉川理事長が海防艦慰霊祭や出前授業に反映してくれると思いますので、今後ともよろしくお願いします。
香住JCのFacebookページ


 (香住沖海戦は終戦前日1945年8月14日の戦闘)
香住沖海戦

 

 戦没者慰霊をきっかけとして、皆様に近現代史を知っていただき、戦争を学んでもらいたいです。
 そして、なぜ戦争になったのか?も学び、原因を探求して欲しいです。

 戦争を回避するにはどうすればいいのか?を考えなければなりませんよね!

 それが平和へと繋がります。

 
 2024年度香住JCのスローガンは「笑花乱舞」

 期待しております。