1813年文化(10年)10月初めに29歳になった
ばかりの重吉は、船長として初めての航海で女房
と乳呑児を故郷に残し督乗丸(とくじょうまる)に乗
って、尾張の国小嶋屋庄右衛門の船にコメや商い
の品を積み、13人の水主(かこ)で江戸に向けて
師崎を出航した、無事に任務を終えた。
その月の終わりに、大豆などを積み江戸を出て帰路
につき、南伊豆の子浦港に寄って、
千石船とは江戸時代の大型船でおコメを千石
積んで走ることが出来たので千石船と呼ばれた。
コメ千石とはコメの俵にして、
2.500表(1俵は60Kg)
ふるさとを目指して船出したのが、陰暦十一月朝。
港を出るときはよく晴れて順風だった、まもなく風が変
わり、船は予定の半分も進まぬうちに、本格的なあらし
に、その夜にやってきた、御前崎付近の沖さしかかった
ころだった。
「お~-い。これは、ただの風ではない、雲が、
渦巻いて飛ぶように流れて行くぞ、船が危ない、
帆を降ろすんだ。」
遠州灘で嵐に見舞われたのです。
夜になると、ますます風雨は激しさをまし、四方
に小山のような波が砕け始めた。その時水主(かこ)
の要吉が波にさらわれてしまった。
助ける術もなく、そのまま船は猛列な早さで風に
流され、舵を折られ木の葉のように揉まれ続け、
漂流をはじめた。
つづく
参考資料
ふるさと散歩道
愛知に輝く人々
千石船漂流200年目海の男 「船頭重吉の会」
ご縁があり、訪問頂き
皆様に ありがとうございます。
吉良荘にしお古の案内人ようさん