船頭重吉の少年時代
三河湾の東の空が白々と朝日が昇ろうとした時、
沖の方から、「えいさ、こーら、えいさ、こーら」
佐久島の対岸一色の衣崎海岸より
と、早朝の鮒漕ぎの声が響く中、佐久島に
でっけえ!!産声が、
阿弥陀寺の大念和尚が、
寺の下の善三郎方に駆けつけた、
「生まれたか」「和尚さん男の子ござんした」
「でっけえ産声だったでのう、よかった、よかった」
生まれたばかりの赤子を抱いて、
名を「重吉」と命名とした。
天明5年(1785)神名月に三河の国吉良荘の佐久島で
百姓善三郎の次男として生まれた。
阿弥陀寺本堂
(浄土宗西山深草派)
創立永正2年(1505)
如意輪観音坐像が安置されており、
昭和39年愛知県の文化財に指定
家の前は、穏やかな太井ノ浦で弁天筒島を
両手で囲むような地形で、
重吉はその海で幼いころから真っ黒になり、
泳ぎ遊び回っていました。
四歳の頃には、弁天筒島までひとりで泳いで行き、
村の人達をビックリさせた。
シマツバキも咲きほこり、島は花園
七歳の冬、可愛がった二つ下の、
よく遊んだ女の子のさちが海に落ちた時は、
着物のまま海に飛び込み助けた
こともあり、たちまち島中の評判になった。
参考資料
愛知の輝く人々
ふるさと散歩道
一色の民話
千石船200年目海の男 「船頭重吉の会」
会長 水野克宣
会員案内人のようさん