千石船漂流記
あらしの前夜
一隻の千石船が静かに江戸は品川の港を
はなれて行きました。
ときは文化10年(1814年)10月末のこと
でした。
千石船の名は督乗丸(百二十総トン)10
月初めに尾張藩の米などを江戸に送っ
た、帰りの出来ごとです.
船頭の名は重吉、彼は三河の国吉良荘にしお
の佐久島で天明5年(1785年) に善三郎の次男と
して生まれる。
寛政11年(1799年)このころ、船乗りになり、
暫くして尾張国知多の半田村の農業庄兵衛に
15歳のときに養子になる。
佐久島は今、黒真珠の島(黒壁)として
佐久島は三河湾国定公園の湾内に浮かぶ
観光で注目され・・・
篠島・日間賀島と並ぶ3島の有人の島と
して、平成24年度現在で300人弱の漁業
と観光の島として、今注目を浴びて・・・
注目度ナンバーワンのおひるねハウス
またアートの島で、アート巡りコースを開催
歩け歩け海原三里のウオークが
平成24年11月18日(日)に行われます。
問い合わせ、西尾市役所佐久島振興課
℡0563-72-9607
大島のこの辺りでクジラを解体された、
時代がありました。
島は、新第三紀の堆積岩なだの地層からなり
2.500万年前の地表が自然に露出さ
れています。
島の海岸に、こんな石が、これはカモメガイ
という貝が開けた穴だそうです。
カモメガイは、泥岩などに穴を開けてその中に
棲んでいるそうです。
![歴史公園の夢と足跡](https://stat.ameba.jp/user_images/20121026/20/rekisikouen/26/79/j/t02200154_0800056112255743915.jpg?caw=800)
佐久島の東の港の近くの生家に海の男
小栗重吉生誕地の碑
(名古屋の熱田で没した。亨年69歳)
ふるさとを目指して船出したのが、陰暦十一月四日朝。
港を出るときはよく晴れて順風だった、まもなく風が変
わり、
船は予定の半分も進まぬうちに、本格的なあらし
に、その夜にやってきた、御前崎付近の沖さしかかった
ころだった。
つづく
参考資料
ふるさと散歩道
愛知に輝く人々
千石船漂流200年目海の男 「船頭重吉の会」
ご縁があり、訪問頂き
皆様に ありがとうございます。
吉良荘にしお古の案内人ようさん