こんにちは。
暑かったり、寒かったりの温度差が激しくてイヤですネ。
雨も多いし。
そんな雨天の中、コレに行ってきました。姫路城は人生で時間が残されていたら行ってみようくらいにしか思っていなかったのですが、ナント2月限定で西小天守が「初公開」されているのだとか。大正元年以来の公開だそうで、こういうのに弱いんです。この模様はまた改めて。
「あをによし、奈良の都は咲く花の、薫がごとく今盛りなり」 万葉集の小野朝臣老(おゆ)の短歌です。
これからの季節はいいでしょうネ~(画像はお借りしました)
さてさて散策に戻ります。第一次大極殿の南、中央のメインストリート朱雀門から続く太極門が見えます。
奈良大文字送り火の山肌が見えます。
京都五山の送り火と並んで有名ですね。
私が奈良の都に惹かれる理由として、この頃の日本人は先進国の文化、風習を取り入れようと追いつけ追い越せで必死だったと思うのです。バカ正直なまでに謙虚に学ぶ姿勢がたまらなく好きなのです。
やはり古代の建造物はかくあるべし。最大で50センチの変位量は相当な技術の免震装置ですが、先人達は知っていたのですヨ。時の流れと自然の力には逆らうこと能わずと。耐震ではなく免震の発想です。
外交の中心だった第一次大極殿から生活の場、内政の場でもあった第二次大極殿の方へ移動。名前は忘れましたが、発掘調査した場所に目印代わりとしてこの木を植えておくと、次回掘る時に根を張りにくいので簡単に掘ることができるのだそうです。
内裏の井戸は役人と女官用です。
ここで役人や女官たちが水を汲みながら、愚痴を言ったり情報交換したりしていたのでしょうか。
内裏を囲む回廊跡(復元)
こちらは天皇のための仕事をする宮内省跡。できるだけ当時の建築技法で復元されています。
正殿は復元されていませんが、他の建物は復元されています。屋根が瓦ではなく檜皮葺であることに注目したいですね。
こちらは内裏の模型。天皇のお住まい&役人たちの仕事場ですね。天皇の仕事場である正殿と外交の場である第一次太極殿は瓦屋根ですがあとは檜皮葺なのです。まだまだ短期間で多くの瓦を使用する技術がなかったのかもしれません。
資料館には当時の地層、地面が残っているのです!
こりゃたまらん。
柱穴を掘り直した跡、古い地層の上に盛土をした跡も残っているので数期に渡って変遷した感じが読み取れますネ。
遺構の大部分は劣化防止のため埋め戻されていますが、少しだけ露出させて敢えて劣化具合がわかるように展示しているのだそうです。ガイドさんは全部埋め戻してほしいとおっしゃっていましたが、ファンとしては嬉しい限り。
当時の空気に触れられるのは嬉しいのですが遠い将来のことを考えると埋め戻した方がいいのかもしれません。1200年近く「保存」されていたわけですから。
最後までありがとうございます。
次回に続きます。