こんにちは。
先日より続いております奈良シリーズ。
今回は都人の声が聞こえてきそうな平城京跡の散策になります。
今回は2階建て近鉄ビスタカーに乗ります。
2階の方が若干眺めがいいのですよ。
今回は奈良駅の手前、西大寺駅で降りて歩きます。
地面に案内があると見やすいですね。
距離が書いてあるのも助かります。
さっそく門の跡が見えてきました。西側の佐伯門跡です。
資料館があったのでちょっと覗いてみます。
平城京の中に第一次太極殿という最重要施設があるのです。
ここは外交使節を迎える場所で、迎賓館のような役割をなす場所なのですね。国の威信をかけて造られた建物なのです。
太極殿の屋根にあったと考えられる「シビ」。鬼瓦やしゃちほこの原型で魔除けや火防の意味合いがあるようです。こちらは復元ですが、残念ながら平城京から出土していないことから他で使いまわしされた説も重要視されているのです。因みに最古のものは唐招提寺の屋根西側にあるもので奈良時代のものです。
木造建造物の屋根にみられる木組みの「木口斗」。
意匠性を高めるものでこれが多いと格式が高い建造物ということになります。東大寺の門が有名です。
円柱を作成する過程です。これは現代でも変わりませんネ。
八角形にしてから徐々に角を削って円にします。
見えてきました。太極殿。
近鉄でも奈良駅に行く時には車内から見えますよね。
歩いていて、誰もいなくなった瞬間はタイムスリップしたような感覚に陥りますヨ。都の人はおおらかだったと云われていますから「もし、どちらからまいられた?」と聞かれそうでドキドキします。変態に磨きをかけておりますのであしからず。
デカいです。
軒先をよーくみると垂木が四角形と丸形の二段入っています。社寺にはこの二軒が多いのですが、丸と四角の組み合わせは格式が高い建造物に用いられます。そして軒の天井は格天井、いたるところに組み物をちりばめて当時では最上格式の建造物でしょう。
様々な色のついたガラス玉が飾ってあるので、ガイドさんに教えてもらいましたが忘れました。魔除けだか風水的なものだったか。
見るもの、聞くこと、質問すること、そしてウロウロと一度にたくさんの情報がありすぎて中年オヤジがプチパニックになります ボランティアガイドさんは暖かく見守ってくれていますが、守衛さんは鋭い目つきでこちらを見ていました。
太極殿内部。天皇の即位や外交使節との交渉に使われるためだけの建物で普段はあまり使用されることはないのだとか。
やんごとなき方々とお付きの方々の住まいは別にあるのです。
太極殿の真上は北極星なのですよ。
南に開けた地形(池、湿地、低地)、北に山や丘、東に河川、西に道(街道)の四神相応の地です。都には必須の地形です。
高御座を正面から撮るのは畏れ多いのですが復元なのでまあいいか。
最後までありがとうございます・
次回に続きます。
*オマケ。そういえばコレに当選したので行ってきました。
佐賀大学の宮武先生の石垣の話は非常に楽しかったです。
千田先生の話は子供さんも大勢みえたので割と初歩的なお話が多かったのですが、名古屋の方ですので名古屋城に関するお話には地元愛も強く感じられました。