文化のみち | 散策侍

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様々な歴史建造物を建築目線で再確認するブログです。たまに美味しいものなども・・・

こんにちは。爆  笑

今年も色々と歩き回りましたが兎に角、ケガもなく健康に過ごすことができたことに感謝であります。

今年最後のブログは名古屋市東区の文化のみちをご紹介して締め括ろうかと思いますので宜しくお願いします。

 

下矢印「文化のみち」は名古屋城の東側、旧尾張藩士の武家屋敷が存在した辺りから徳川園にかけての旧跡や邸宅跡を指します。

こちらは川上貞奴邸。一時名古屋に暮らしていたのだそうで、移築復元したものです。

 

 

下矢印川上貞奴さんは日本初の女優さんとして有名ですよね。

当時の日本人としてはややエキゾチックなお顔立ちかと見受けられますが、現代でいう美人さんですね。ご本人は女優さんになるつもりなどサラサラなかったのだとか。

 

 

下矢印代役でイヤイヤ舞台に上がったところヨーロッパで人気が出たようで、元々が頭脳明晰、帰国後も伊藤博文や財界人と懇意になり株なので財をなしたとか。ご自分の菩提寺をご自分で建てるという女傑です。

 

 

下矢印ステンドグラスが美しいのですよ。

右上の一部以外当時の本物なのですよ。キラキラ

 

 

下矢印ソファも当時の製法、材料で復元されています。

座ることができるので是非。フカフカです。

 

 

下矢印当時、名古屋でこれだけの豪華絢爛な建築物は他になかったようで、財界人や文化人のサロンとしても使用されていたようです。ただ当のご本人は部屋に籠って麻雀をしていることが多かったようです。

 

 

下矢印和洋折衷の建物で2階には和室も存在します。床の間に三味線を置くあたりは芸者さんらしいですね。

 

 

下矢印床の模様も非常に凝った造りになっています。そして廊下が明るいのが特徴ですね。日本建築は「影」を大切にしますが西洋建築は「光」を大切にします。

 

 

下矢印階段の曲線が非常に美しいのです。今ではアルミ材などの曲げ物は多く存在しますが、木の曲げ物はそれなりの技術が必要なので、建築には高度な技術も持った職人集団が携わったと思いますよ。電気や水道もありますからね。

 

 

下矢印建築当初は名古屋の台地に煌々とライトアップされていたようです。個人の家が松明ではなく照明でライトアップされるなんぞは、さすが電力王のパートナーです。ひらめき電球

因みに川上音二郎と死別後のパートナーは福沢諭吉の養子、福沢桃介です。

 

 

下矢印続きましてはこちら。名古屋市内に唯一当時の位置のまま現存する武家屋敷の長屋門です。絵図面には「平岩邸」「室賀邸」と書かれていたようです。

 

 

下矢印武家屋敷のみに付帯することを許された出窓、「出格子付番所」といいますが現存するものは珍しいかと思います。

 

 

下矢印次を目指して歩きます。読みにくい地名ですがこれで「ちからまち」と読みます。余談ですが、この辺りは尾張藩中級武士の武家屋敷跡で現在も高級住宅街、一区画が500~600坪もあるので、年間の固定資産税は約千二百万也! マンションしか建ちませんな。

 

最後までありがとうございました。今年も一年お付き合いいただきまして誠にありがとうございます。

来年も健康に過ごすとともに、城、城跡、遺構、史跡等々、各地を廻りたいと思います。

それでは良いお年をお迎え下さい。