大坂城界隈⑤~なにわのことも夢のまた夢 | 散策侍

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様々な歴史建造物を建築目線で再確認するブログです。たまに美味しいものなども・・・

こんにちは。爆  笑

世間はGWということで最長9連休とのことですが、私はお仕事であります。ひねくれ者故、人様が休みの時に働いて人様が忙しい盛りにはゆっくりと骨休めしたい性分であります。てへぺろ

 

下矢印さて大坂城は本丸内へ。走る人

有名な蛸石。岡山藩、池田忠雄の担当ですな。畳36畳分で大坂城では一番大きな石です。

 

 

下矢印大坂城の南の正門にあたる土橋。戦国時代の城と違って昇り勾配になっているあたりが脱戦国時代の完成された城だと感じます。

 

 

下矢印大坂城天守閣と同じ昭和6年に建てられた陸軍第四師団司令部庁舎。鉄筋コンクリート製でヨーロッパの城郭をモデルに作られた建造物です。

 

 

下矢印建築が好きな方にはたまりません。個人的には大坂城の天守よりもこちらの方が見応えはあります。

 

 

下矢印屋内には飲食店や売店などがあるのでちょっと腹ごしらえ。

大坂でたこ焼きを食べるのがささやかな夢でした。チョキ

 

 

下矢印こちら重要文化財の金蔵。床は石造り、風窓にも格子を設置した防火と防犯に工夫がみられる当時としては最先端の蔵なのです。

 

 

下矢印天守閣の隣にある徳川期の金明水井戸。

焼失を免れた貴重な遺構です。キラキラ

 

 

下矢印残念石もありました。大きい方は黒田長政、小さい方は細川忠興の持ち場でみつかったそうです。膨大な石垣の面積のうちどれだけの割合で残念石が生じたのか気になります。メモ

 

 

下矢印本丸内の雁木もとにかく広い。幕府ができて平和な世の中になるはずなのに、なお戦いのための城を造る必要があったというのは平和を謳いながら軍事演習を行う現代の感覚と同じなのかもしれません。

 

 

下矢印天守閣北側の石垣。終戦直前の8月14日にここから数mの位置に爆弾が落ちたようでその時の衝撃でずれてしまったとのこと。現在は補強工事がされているようですから安心です。

 

 

下矢印この井戸も本丸内にありますが普段は閉じられて中を覗くことはできません。ただこの井戸の中に太閤殿下時代の石垣を観ることができます。

 

 

下矢印天守内はあまり興味がわかないのでほぼスルー。ただ建築が好きな方は一見の価値があります。トイレの中に柱があったり、当時としては最先端だった昇降分離の階段など建築マニアにはたまりません。

 

 

下矢印こちらは雁木坂。当時は雁木(石の階段)でできていたそうですが、現在は盛土で緩やかになっています。

 

 

下矢印本丸を守る高石垣。敢えてこれだけのものを西国大名に造らせるのが意地悪ですな。えー

 

 

下矢印こちらも忘れずにお参り。お願い淀さんと秀頼公自刃の地。

ひっそりとして誰もいませんでした。

 

 

下矢印最期に関して詳しいことはあまりよくわかっていないのだとか。もしくは意図的に伝承されなかったのかもしれません。少なくとも平成9年までは石碑もなかったので手を合わせる人もいなかったのでしょう。南無。お願い

 

最後までありがとうございます。

次回に続きます。

 

下矢印*オマケ。後学のためにこれ買いました。

大和言葉には実に美しい響きがありますね。

「雨隠れ」や「思ひの色」など日常では使いませんが、日本人として知っているだけでも価値がありそうな言霊です。これからは蚊取り線香のことは「蚊遣火」ということにします。

でも今はワンタッチでプッシュの時代ですかネ。