こんにちは。
太閤殿下の夢のあとを追って大坂城界隈を散策しましたが、かなり広いので長丁場になりそうです。
どうか暫くのお付き合いよろしくお願いします。
堀を渡ってくる敵が丸見えですな。
大手口桝形の巨石。徳川期に熊本藩、加藤忠広が築いたもので、瀬戸内海の小豆島から運んできたそうな。西国大名に豊臣期よりも大きな石組を造らせるなんぞは、秀忠さんや幕閣連中の考えそうなことです。
表面には化粧斫りもみられます。
この石は上部に楔を打った矢穴が細かく残りますが、細かく楔を入れているということはどうしてもこの大きさ、この位置で割りたいという意思の表れかと思います。
大坂城の現存多門櫓(国重要文化財)
落雷で焼失したものの幕末嘉永年間に再築したのですね。大坂城で現存している多門櫓はここだけです。
広大な水堀とは対照的な狭い空堀です。
ご存じの通り、大坂城はかつての石山本願寺跡に建てられたのですね。広すぎて正確な位置は不明のようです。
重要文化財の六番櫓。東から六番目なのでこの名が付いたそうです。名古屋城やその他の城の櫓同様、天守方向、もしくは本丸方向に窓を造らないのがセオリーですな。
こちらにもお参り。
「尾張からやってきましたよ~」とご挨拶。
でも殿下の大きな銅像って信長公や家康公と違ってあまり立派に感じないのですよネ。尾張人としましては、「尾張中村の藤吉郎」はこじんまりとした銅像がお似合いかと。
ムロツヨシさんの秀吉は品が無くて私は大好きです。
「殿下の夢の跡を探しに尾張からやってきました」とお伝えして道中の無事をお祈りしました。
いよいよ本丸内へ。立派な石垣ですが、豊臣時代から南と西にかけては空堀なのです。
名古屋城も内堀は空堀ですが、大坂城も秀吉の頃から空堀なのです。敢えて水堀よりも狭く造ることで鉄砲よりも速射力の高い弓矢の攻撃が効果を発揮できるようにしているのでは、と個人的には考えています。違うかもしれませんが。
重要文化財の桜門。本丸の正門にあたります。
人が途切れるのを20分くらい待ちました。
最後までありがとうございます。
次回は本丸内を散策です。