こんにちは。
先日より続いております謎の城ですがいよいよ城内へ突入です。
整備されていない山城アルアルで高低差や距離感が分かりづらいところもありますがどうかお付き合いを。
内側から柵を閉める時ってすごく心細くないですか?
杖もあるので戦闘用に持って行きます。
夏場はヤマヒルの攻撃をくらって衣服が血に染まるようなのでこの時期に来て正解です。寒くなってからの方が安心かもしれませんネ。
狭くて怖いっす。
バランスを崩すと沢に落ちそう。
獣が水を飲みに来ていないかドキドキ。
広葉樹が少なく、ほとんどが杉と桧なので植林された山ですね。
資料館にも説明がありましたが、江戸時代の「続群書類従」によりますと光秀の実母がこの城の進士氏に嫁ぎ、母の実家、明智家に跡継ぎが居なかったことから光秀が明智家に養子に入ったというのです。因みに細川忠興とガラシャの娘の名前は「多羅」なのです。
実は今まで、「多羅城」=「高木陣屋」と思われていたのですが、平成31年にこの「城ヶ平城」と令和2年にもう一つ「樫原城」というのが発見されて文献にある「多羅城」の候補が三つになっているのです。今後の調査に期待です。
縄張り図は中井先生かと。
北に切岸、南から西にかけて土塁がある約30m~40m四方の小さな城で、主郭に井戸があることから居館跡という感じもします。
東側に虎口。
斜面から落ちてきた土でだいぶ埋もれていますが横堀跡。
縦堀跡。
井戸跡。
ここが光秀出生の地なら産湯に使った可能性もありますね。
高低差が少なくなっていますが土塁跡。
虎口の横には櫓台。
今のところの調査では主郭のみとされていますが調査が進むと新しい発見があるかもしれません。
高木陣屋ができて以後は廃城になっていたと思われますが関ケ原の戦いの時には存在したのかどうか、考え出すとキリがありません。
怖いのですが道が続くので更に先へ。
最後までありがとうございます。
次回へ続きます。