こんにちは。
寒い日もあったり暑い日もあったりの尾張地方ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?GO TO~にて人がだいぶ動くようになって観光地は賑わってきましたね。
そんな中、お盆には暑くて行くことが出来なかった名古屋市千種区の平和公園にお墓詣りに行ってきました。
まずは信秀の懐刀と云われたこの御仁。
元は小牧の政秀寺にあって、清須、名古屋、空襲後にこの平和公園へと移ってきたのですね。
普段はアップダウンのない平坦な地に暮していますのでたまに坂道や階段を登ると難儀します。全自動的な何かがないと引力に負けてしまいそうです。弱小尾張兵なもんで。
こちらが信長様の傅役、平手政秀さんのお墓です。
「その後」の信長公の活躍と最期を一応お伝えしてまいりました。
地震か台風か空襲か?墓石が折れてしまっていますね。
戦前には名古屋市内のいたるところにあったお寺の墓地が戦災で焼けてしまって、昭和25年に名古屋市内の開発の為に、郊外のこの地に移ってきたのです。今では山の手の高級住宅地となっていますので私のようなものがウロウロするところではないのかもしれませんが。
続いてはこちら。
仙千代君墓、星野勘左衛門墓とあります。
「星野勘左衛門先生」とありますが、江戸初期の尾張藩弓術指南役の先生なのですね。かなりストイックな先生だったようです。
三十三間堂の大会では二度日本一になった腕前なのですよ
同じ墓地内には松平仙千代君のお墓もあるのです。
家康の八男として生まれ、跡継ぎがいなかった平岩親吉の養子になるも僅か6歳にて夭折。生きていれば初代尾張藩主だったかもしれません。
少し歩いてこの方。犬山藩主、尾張藩附家老にして徳川十六神将の一人、平岩親吉さんのお墓です。
信康が蟄居した時、傅役だった親吉は「私が腹を召すのでどうか若君だけは・・・」と懇願するも、家康はあまり会うことが無かった息子よりも、同い年にして幼馴染の彼を選んだのです。
続いてこちら。誰のお墓かわかりますでしょうか?
意外なことに、坂東武者、成田長親さんのお墓なんですね。
映画「のぼうの城」で野村萬斎さんが演じておられたあの方です。
読みにくいのですが「長親」と彫られています。
息子さんが尾張徳川に仕えた縁から、晩年は尾張で過ごしたようです。
そして最後に、尾張と言えばこの方、尾張徳川7代当主の大納言、徳川宗春公。ドラマや映画などでは将軍吉宗と犬猿の仲のように描かれますが、実は宗春さんも尾張では質素倹約の先駆けのようなことをしていたのですよ。
ただ、後の自由経済政策が上手くいきすぎてしまって内外から睨まれるハメに。尾張人気質で損をするお人なのです。
最後までありがとうございます。
しかしお盆に行かなくてよかった。この日はお彼岸でしたがそれでも汗だく。お盆だったら石材からの遠赤効果も相まってどうなっていたことやら。
*意外な観点からの切り口は磯田さんらしい見方ですな。
お城同様、歴史も様々な角度から俯瞰してみると新しい発見や感動があるものです。