こんにちは。
梅雨はもうすぐ明けるのでしょうかネエ~。
夏が早かった分、このまま秋が来そうな感じもしますが・・・。
さてさて前回からの続きにて。
総見寺の裏手に鐘があり、「願いを込めて御自由にどうぞ」とのこと。安土山に響き渡る鐘の音が何ともノスタルジックな振動となって耳に残ります。
石段はまだ続くのですね。そろそろエスカレーターが欲しくなります。
直線の大手道を登って折れ曲るあたりに「武井夕庵邸」(たけいせきあん)があります。あまり馴染みのない名前ですが、武将というよりは官僚、右筆や茶人として活躍した御仁ですな。
奥に井戸跡があるようですが蛇を見てから及び腰なのでやめておきます。
もうちょい上に行くと「信忠邸」もありますが、こちらは整備されていないようで石碑のみ。御一族の邸宅は上の方にあるのですね。
道幅が広いので城というよりもお寺に向かっているような感じです。数人の方か登っていましたが中にはパンプスで歩いている女性もいましたよ。捻挫しそうで見ていて怖いです。
織田信澄邸と森蘭丸邸跡です。こちらも整備されていないので石碑のみ。蘭丸は一族と同格の扱いなのですね。
登るにしたがって大きな石が目につくようになります。
どこから運んできたのでしょうか。
いよいよ黒金門です。この門の内側からが安土城の中枢部なのです。
またこのあたりからは建物も多く建っていたようで焼けた石垣の表情にも注目しながら歩きます。
野面積も角が命!
二ノ丸にある秀吉が建てたと伝わる信長廟。
無事手を合わせることができて感謝であります。
いよいよ天主です。足と尻がパンパンです。
ついに天主跡であります!礎石一つ一つが色々と話しかけてくるようで身震いがします。(私、おかしなこと言ってますかね?
)
絵図では周囲の石垣の上に櫓が組まれているのでここは地下室だったと思われます。
中央には礎石がないことから吹き抜けか心柱が無い画期的な木造高層建築だったかと想像できます。
熱田の宮大工、岡部又右エ門が作事を担当したことから現在の「城」よりも「寺」に近い外観だったのではないかと勝手に思っています。
こちらは本丸御殿の礎石跡。京都御所内の清涼殿の礎石配置とソックリなんだとか。帝をお迎えするためと云いながら、自らが・・・。
うかつを申してはいけませんが、このあたりが惟任日向殿の心配事だったやもしれませんな。
すっかりこのイメージが定着していますが図面も絵図もないのであくまで想像にすぎませんからね。(画像はお借りしました)
ルイス・フロイスの記述と礎石跡からこんな感じになるのでしょう。
天主跡からの景色。遠くに琵琶湖が見えますな。
信長様もこんな景色を観ていたのでしょうか。
ここまでありがとうございました。
次回は下山しますのでその模様を。
同じルートを通らずに下山できるのも魅力ですね。