こんにちはこの頃は年の瀬も近いので時間を見つけては近隣のお寺や神社へご挨拶に伺っております。
今回は尾張四観音筆頭の甚目寺観音へ一年の御挨拶に行って参りました。近隣は交通量が多く駐車スペースがないので名鉄甚目寺駅前のロータリーに駐車して歩きます。
駅前からのメインストリート。昭和な感じがいいです。
ドン突きを右に曲がります。
初詣や縁日以外の平日はこんな感じで人も疎らですが、毎月12日にはマルシェのような縁日があるので境内はお店がいっぱいです。一度行きましたが活気があって美味しいものもたくさん売られていて楽しかったですよ。12日にしか開かれないカフェもありますので是非。
途中でこんな貼紙が。
個人宅にて全景は写せませんが気になります。
歩いていると正面に東門が見えてきます。門とはいうものの扉は最初からありません。
1634年の建立で国の重要文化財です。
礎石も柱も大きく鎌倉時代を真似たガッシリとした造りになっています。
正面に廻ります。真っ直ぐ撮ったつもりなのですが縦長だといつも右下がりになってしまいます。性格が曲がっているからでしょうか・・・
見にくくてゴメンナサイ。
南側の有名な楼門です。1196年に源頼朝の命で梶原景時が奉行となって再建されたそうです。再建なのでもっと古い門が以前からあったのでしょう。あま市では最古の木造建築物で県内でも最古の部類に入るそうです。国の重要文化財です。
近くで見るとかなりデカいです。
鎌倉建築は質実剛健で板塀や檜皮葺の建物が多く見られますね。屋根の隅が反り返っているのも特徴の一つです。
門番として阿吽像が建立されています。長い間、運慶作とされていましたが2011年の解体修理の際に「藤原朝臣福嶋左衛門大夫敬白」の文字が見つかり、地元の武将、福島正則の寄進によるものと分かりました
今にも動き出しそうな躍動感です。
旧下街道(津島街道)に接しており、津島参りや佐屋街道を往来する商人たちでたいそう賑わったそうです。
「右つしまみち」の文字がわかります。
こちらが津島方面。今は名鉄津島線が沿うように走っています。
この道があったことで織田家は繁栄したのでしょう。
「左さ屋おしろみち」と書かれているのでしょうか?違う気がしますが分かる方見えましたら教えて下さい。
楼門をくぐると左手に三重塔が見えてきます。本尊は愛染明王で現在の建物は1627年の再建だそうです。国の重要文化財ですが落書きなどがあるのは残念です。
最近はこんな看板も・・・
そりゃそうでしょうな。
裏側に避雷針が通っています。
雨宿りは低い建物にしましょう。
こちらが甚目寺観音本堂です。現在の建物は平成4年に完成しており、それまで3回の大地震で倒壊、1回は火災で延焼してしまい
現在の鉄筋コンクリート造になりました。
ただその歴史は古く、推古朝597年に近くの入り江で聖観音像が漁師の網にかかりここへ祀ったことが始まりだそうです。
以来、信長、秀吉、尾張徳川家の庇護を受けて栄え現在に至ります。因みに漁師の名前を甚目龍麿(はだめたつまろ)といったそうです。
真言宗智山派でご本尊は聖観音ですが、十一面観音の胎内仏として秘仏になっているそうです。 十一面観音も50年に一度の御開帳だそうで、見る機会はななさそうですね・・・。
こちらは六角堂です。
中には千体の地蔵菩薩様が祀られているそうです。
ちょっと中を失礼して。
派手なお地蔵様です。
こちらは十王堂で本尊は閻魔大王です。
日頃の行いが悪いとは言いませんが良くもないので私は苦手です。
正面に閻魔大王と地蔵菩薩様、左右には十王が怖い顔をして並んでいます。いたたまれなくなって飛び出してきました。
観音様のお参りをして帰る方が多いのですが、すぐ隣に「ぬりべ神社」があります。ここは塗り物の神様で塗装関係者、塗料メーカー、建築関係、商工業関係者の方が多く参拝されるところです。私も縁がありますのでお参りしてきました。
実は初めてお参りします。
帰りに七宝の瑞円寺に寄って「おまつの里」を見てきましたが予想通り何もありませんでした(笑)
おまつ(芳春院)は言わずと知れた加賀藩主で中川区荒子の前田利家の正室です。この辺りのお生まれだそうですが諸説あってはっきりとしていないため盛り上がりに欠けます。
いっそハッタリでも盛り上げてしまえばいいのでは。
仕事も少しずつ片付いてきましたので時間の許す限り色々廻ってみたいと思います。ただブログはこれが今年最後になるかと思います。
拙い紹介で時には誤字脱字もあってお恥ずかしい限りでございますが、皆様には沢山の「いいね」やコメントを頂き、また皆様のブログからたくさん勉強もさせて頂き感謝の念に堪えません
これを励みに来年度もさらにマニアックに、それでいて楽しくご紹介できればと思います。一年間ありがとうございました