桑名城址 | 散策侍

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様々な歴史建造物を建築目線で再確認するブログです。たまに美味しいものなども・・・

こんにちは!爆  笑朝晩は寒くなってきましたね。ただ日中は暑い時もあり体調を崩しがちになりますので養生して下さいね手

この日は抜けるような青空で仕事なんかしているのがもったいなくなったのでてへぺろ

仕事は午前中で済ませて三重県桑名市の桑名城址(九華公園)に行って参りました。車

 

国道1号線を走ること約30分、揖斐川の堤防を下ってすぐに到着です。

1回¥200円で駐車して管理人のおじさんにパンフレットをもらい散策スタートです。走る人

 

下矢印まず目に飛び込んでくるのが本多忠勝像であります。岡崎城のものより大きくちょっとふっくらしています。

後ろの長いのは名槍「蜻蛉切」。 雷雷が落ちないか心配でしたが裏にアースが設置されていました。

 

 

下矢印道路を渡り城内へ。ナビでは桑名城址で出てこないので九華(きゅうか)公園で検索します。ちょっと洒落が効いていて、

「くわな」→「くはな」に通じます。内堀ですが桑名藩は佐幕派だったので幕末~明治にかけて新政府に徹底的に破却されました。

石垣は四日市港築港のために持って行かれ建物も壊されて残念ながら遺構はあまり残っていません。えー

 

 

下矢印こちらは天守台跡です。といってもこれも新しいもので昭和53年に造られたものです。

天守は1701年の大火により焼失して、以来造られませんでした。

 

 

下矢印こちらは本丸の東南にあった三重の辰巳櫓跡です。

天守焼失後、天守に替わるシンボルして幕末まで現存しましたが、新政府により無血開城の条件として破却されてしまいました。えー

 

 

下矢印少し読みにくいですが。この辺りは本丸跡です。

築城当時は四重六階天守、51基の櫓、46基の多門があったそうですから相当大きな城だったのでしょう。

 

 

下矢印吉之丸の南側内堀です。石垣は無くコンクリートで固められた公園です。えー

 

 

下矢印本丸跡は何もないので中堀に沿って歩いてみます。目指すは外堀です(またマニアックな!)走る人

 

 

下矢印中堀の石垣は築城当時のものが残されています。桑名城は揖斐川河口近くに建っていますが、

築城時は河口とはいえほとんど海ですので干満の影響を受けて、船が出入りする海城のような感じだったと推測されます。

 

 

下矢印野面積の乱積です。

熊本城の石垣同様人の手が入っておらず、古いもの程地震、水災にも耐えて残っていることに感動を覚えます

 

 

下矢印内堀から南下して外堀跡に出ます。向こうに見える建物はまぐりプラザです。

桑名はハマグリが有名でここは漁港、漁協が近いため安くて美味しいハマグリが頂けます。ナイフとフォーク

今回は行きませんでしたが以前にハマグリフライ定食を頂きました。以来、他のハマグリが食べられません。

身がプリプリで柔らかく今まで食べたハマグリは何だったのかと思う程美味しいです。口笛

行かれた際には是非是非割り箸

 

 

下矢印そしてこちらが外堀跡です。暗渠になっていますが水の流れはあるようです。

ここから街中へ向かって歩きます。

 

 

下矢印桑名港の信号の脇で一旦途切れます。ここからもう少し西へ歩き旧東海道を横切って北上する堀跡を探します。

 

 

下矢印すると・・・ありました!90度曲がって北上します。走る人

 

 

 

下矢印そういえば石取祭もユネスコに登録されましたね。祭

 

 

下矢印さらに北上を続けます。少し足が痛くなってきました。笑い泣き

 

 

下矢印六華苑の南側で堀は揖斐川へ接続されています。

また来たいと思いますが、桑名城址の北に隣接して諸戸氏庭園という洋館があります。

鹿鳴館で知られるコンドルの設計した明治大正期を代表する建築物なのでまた行ってみます。

 

 

下矢印少し戻って初代桑名藩主の本多忠勝のお墓詣りに行きます。

ここで簡単にお城の歴史について。1186年、伊勢平氏の桑名行綱により城館が建てられ、

戦国期には伊藤武左衛門の城館をはじめ三つの城館に分かれていたのを織田信長が攻め落とし、

家臣の滝川一益が入ります。秀吉政権下では何人か城主が変わり、関ケ原後に千葉の万喜城から

本多忠勝が移封となり町割りを行います。この時の町割りが現在この辺りの基礎となって発展していきます。

その後、松平氏が城主となり幕末、会津、松平容保の実弟、松平定敬の時やむなく無血開城となり桑名藩は滅び、

城も壊されてしまいました。

 

 

下矢印浄土寺といいます。以前来たときはお寺の改修工事中でしたが綺麗になっていました。

 


下矢印お花も無く少し寂しい気もしますが・・・ショボーン

戦場での活躍は言うまでもありませんが、幕府が開府してからはあまり活躍の場がなかったと思われます。

戦場では傷一つ負わなかったものの晩年小刀で指を切り、死期を悟ったとか・・・侍ですね・・・

 

 

下矢印花も線香も持っていないのでお水を差し上げました。お願い

懐かしいポンプ式の井戸です。びっくり

 

 

下矢印両脇には殉死された中根忠実梶原忠のお墓もあります。

 

 

下矢印お墓を後にして再びお城方向を目指します。こちらは七里渡し跡です。

東海道唯一の海路で熱田からここ桑名までは海路となります。交通の要衝でもあったのです。

 

 

下矢印鳥居は伊勢神宮の遷宮したあとの材木で造られるそうです。

 

 

下矢印七里渡しのすぐ横にある蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)の復元です。実は水門統合管理所の建物なのですが

景観に配慮してこのような建物になっています。当時は旅人から一番最初に見える桑名のシンボルでした。

 

 

下矢印櫓横から北側の眺望です。揖斐川と多度山と養老山脈です。雲一つ無い天気でした。

 

 

下矢印木曽三川中央の長良川です。河口堰が見えますね。今更ながらですが必要だったのでしょうか?

 

 

下矢印望遠で東方向を覗くと名駅が見えます。

 

 

下矢印有名な高須4兄弟の写真です。

左から桑名藩主:松平定敬、会津藩主:松平容保、15代尾張藩主:徳川茂徳、14代、17代尾張藩主:徳川慶勝

美濃高須藩は尾張藩の支藩で高須藩主:松平義建の4人の息子たちです。

 

 

下矢印再び駐車場へ戻って参りました。こちらは中部地方では有名な柿安本店です。

元々は(今でも)精肉屋さんですが色々な食材を売っています。お肉を使ったお弁当は特に美味しいので是非。

パン屋さんも入っていてプレミアムクリームパンはすぐに売れてしまうので要注意です。

私は鬼饅頭と肉団子と古代米おにぎりを購入して帰路につきました。

 

 

桑名城いかがでしたでしょうか?この日も8km程歩き、足が痛くなりました。(運動せねば!)

お城好きにはやや物足りなさと残念さを感じずにはいられませんが、遺構らしき何かを求めて散策するのは楽しいです。ウインク

 

桑名にはハマグリの他にアイス饅頭、妖刀村正を展示する桑名市博物館(常設してあったか定かではありませんが)、寺町通り商店街、

安永餅、アサリ、シジミのしぐれ煮、長島温泉、三井アウトレットパーク、イルミネーションのなばなの里、上げ馬神事の多度大社・・・

等々、美味しいもの、見所が沢山ありますので是非。ナイフとフォークカメラ

休日やクリスマス、年末は大渋滞するので時間に余裕をもってお出かけください。車時計

 

日曜日は京都へ行って参ります。またご報告しますのでお楽しみに!紅葉カメラ

 

 

*新しいホームページを追加しました!宜しく!

空き家管理 (株)Y‐クラフト