織田信長の家臣 その5【佐久間信盛】 | 歴史の舞台に立つ!!

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織田信長の家臣 その5【佐久間信盛】

織田信長の家臣。後に信長に高野山に追放される。



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高野山


【生誕&織田信長家臣時代】

若い頃から織田信秀に仕え信長の後見人になります。

信秀死後の家督相続問題でも一貫して信長に与し、

稲生の戦いでも信長方の武将として戦った。

その功により以後家臣団の筆頭格として扱われ、

「退き佐久間」(しんがりの指揮を得意としたことに由来)

織田家の主だった合戦には全て参戦。

近畿の地に織田家中で最大規模の軍団を統括するまでに至ります。

石山本願寺との戦いの責任者にもかかわらず

積極的に攻める事なく10年の膠着状態を招きます。

その責任を問われ 高野山に追放。

1582年 その生涯を閉じることになります。


高野山住所

和歌山県伊都郡高野町


地図


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【豊臣秀吉との関わりにおいて】

佐久間信盛の子 信栄は茶人として豊臣秀吉に召抱えられます。



【江戸時代の佐久間家子孫】

弟・信重の子孫と養子である信実の遺児・盛郎の子孫は旗本として存続していきます。