日本は差別大国? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 岸田総理のメッセージを盟友山口敬之氏が指摘して以来、いろんなところで批判があっています。

 

 一昔前なら、社民党、いまなられいわ新選組が言いそうな言葉を自民党の総裁、そして日本国の総理大臣が言っています。これを額面通りに取ると日本は差別大国と思われても仕方ないでしょう?

 

 ずいぶん前の映画ですが、ヤコペッティの「残酷大陸」(1971年公開)という映画を観て衝撃を受けました。もちろん映画ですが、今までおぼろげに知っていたアメリカ大陸への奴隷船のお話が赤裸々に描かれていたので本当に高校生の私にはとても衝撃的で今でもいくつかのシーンをはっきりと覚えています。

 

 今はこれが映画だと理解していますが、当時は純粋無垢なニキビ面の高校生です。性描写も結構リアルで、黒人は人間ではないように描かれていたので、びっくりです。もしDVDとかで観ることができるのなら見てみてください、けっこう性描写がリアルですよ。

 

 でもそこで描かれていたのは、アフリカの黒人を容赦なく人間狩りで船に乗せ、動物のようにアメリカ大陸へ連れて来て、USAの南部でプランテーション農業のための労働力としての奴隷として強制労働させるというのが映画の筋で、その非人道的な扱いが当時も大きな問題になっていたと記憶しています。

 

 ちょうど「ソルジャーブルー」というインディアンを虐殺する映画も1971年ごろ作られて話題になっていますが、アメリカがベトナム戦争の泥沼にどっぷりつかっているころで多くの反戦映画が作られた時です。

 

 それが70年代後半の「批判的人種理論(CRT理論)」に繋がって現在に至るのですが、その同時期に「ルーツ」とか「ディアハンター」が登場しています。

 

 ベトナム戦争(1975年)の敗戦でアメリカが総ざんげをしている時にどんどんCRT理論の声が大きくなっていきましたが、それに待ったをかけたのがトランプ大統領でした。

 

 そのトランプ大統領を批判し、再選をさせないためにBLM(ブラックライブズマター・黒人の命だけが大事)という運動が全米で激しく起こり、トランプ氏の再選を阻止しようとします。これもCHINAの資金が入っていたのは周知の事実で、トランプが落選し、バイデンが当選した直後からこのBLM運動は下火になり、今はどこに行ったの?というようになっていますね。

 

 学生時代にルーサー・キング・JR牧師の「I have a dream」というスピーチをESSの暗唱大会の題材にしたとき、15分以上あるスピーチを7分くらいに短縮する作業があり、そのためにスピーチを何度も読み返し、重複している部分やあまり重要ではない部分を削除して作り上げ、それをホートン先生に確認し、さらに削ってもらうという結構めんどくさい作業をしたことがあるので、そのスピーチに込められた背景やアメリカの現状をできるだけの情報を入れたことが原点となっています。

 

 その際に、上記の映画や1976年にアメリカを一人旅した時の経験などが活きています。

 

 そして一人旅から帰国後に、日本のことを知らなさすぎるからと言って猛烈に日本文化に関する本を読み始めたことも今の私の思想を形成するために大きく役立っています。

 

 その時の命題の一つが「日本には差別があったのか?」というものでした。

 

 九州は部落差別や朝鮮人差別問題がありました。とても身近な存在であり、両親が教師をしていたので質問をするととても詳しく教えてくれたのです。

 

 特に田舎の方は部落差別というのがあって、どこエリアの出身ということで部落出身だということがすぐにわかりました。

 

 さらに朝鮮戦争で多くの半島からの難民、今でいう不法難民が北部九州に押し寄せ、それが部落地域に入り込み、一大勢力を築くのです。現北九州市(若松市)の人口が急激に増えているのも後で資料で確認できました。

 

 1950年代から怖い存在となり、私が小中学生のころは朝鮮学校の生徒にはかかわるなとか、部落の人たちとかかわると後が怖いと言われている時代でした。

 

 父が校長をしていた中学校はその地域にどっぷりとはまったところで、時々学校まで送っていくと「これが中学生?」と思うような生徒が登校してきているのを見て、大変なところだと感じた大学生の頃でした。日曜日や深夜に学校や警察が呼び出しがあり、校長だった父を車で送っていったことは何度もありました。

 

 その間に父は脳出血で倒れて入院したこともあります。いまでもまだ存命で今年は100歳になろうとしています。

 

 その時に父から聞いた話では、生徒の問題で家庭訪問に行くとご飯が出されたそうです。しかし、不衛生で食欲など起きないのですが、お茶をかけ、目をつぶってお腹に掻き込んだというのです。若い先生はできなかったそうですが、その行為を見て、初めて部落の家庭の人が信頼をしてくれたと語っていたのがとても印象的でした。

 

 なぜこんなことを書いているのかというと今から50年ほど前には差別は歴然と存在していました。私もそうやって身近で差別される人を見てきたことがあるからです。

 

 石堂川の川べりには戦後住み着いた部落民とも朝鮮人とも知れない人たちのバラックが残っていたのもかすかに記憶に残っており、当時そこには足を踏み入れたらいけないときつく言われていたほどです。

 

 しかし、私が小学校から中学校に上がるころから福岡市も都市整備が進み、川べりに住んでいた人たちのための集合住宅も建設され、そちらに格安の家賃で住むことができるようになりました。

 

 外からは大きなマンションのような外観だったので、生命保険会社に入社した時に、飛び込み営業に行ったことがあるのですが、100世帯ほど入った集合住宅に二件ほどピンポンして出てきた人を見て、すぐに中止しました。何とも言えない異質なものの恐怖を感じたからです。

 

 それから45年ほどたちました。今ではすっかりそのエリアも他の地域から住む人が増えているので、様変わりしています。

 

 川を一本隔てると地価が思いっきり下がるということもなくなってきています。

 

 住む人間が多種多様になってきて、特殊なエリアではなくなったのです。そこには普通にマンションが立ち並び、当時の様子を知る人も少なくなっています。そして社会的風潮も変わってきたので、昔のような差別は今ではほとんど見受けられません。

 

 全くないとは言いませんが、ほとんどないといっても問題ないほどです。

 

 それはその地域に住んでいた人たちが一所懸命自分たちの街を良くしようと努力し、子供たちにも教育をキチンと受けさせるなどを地道な努力を積み重ねてきたからです。そして福岡市は人口が今でも増加している町ですから、市外から流入してきた人たちが安い地価や家賃にひかれて住み着き、さらに環境が良くなってきたのです。

 

 今では近代的ビルが立ち並び、明るくてとても住みよい街となっています。

 

 それは差別する人も差別された人たちもそういう社会ではいけないと協力し合ってきた成果なのです。

 

 それを岸田総理は否定するのを私は我慢できません。

 

 れいわ新選組が人々に努力もせずに生活保護を受ければいいと説くのを見て、おかしいと思うのは私だけでしょうか?

 

 努力をしても病気やけがや年などで思うように働けないので、どうしても補助がいるという人は生活保護を受けてください。日本国民はその権利を有するのですから。しかし、安易にもらうことは日本人の美徳に反するのはわかっているはずです。

 

 正しいかどうかではなく、美しいかどうかが日本人の行動規範です。損や得で考えるさもしい日本人は少数だと思いたい。

 

 こう考えるのが差別でしょうか?

 

 差別される人たちは自分たちで差別されるような壁を築いているとしか私には思えないのです。

 

 「努力の上に花が咲く」という言葉は福岡にある中村学園の創設者中村ハル先生が好んで使った言葉として伝えられています。

 

 次女がその言葉の入ったTシャツを着て部活動をするの見て、ほほえましく見守っていました。

 

 日本人は努力する人を力いっぱい応援するという国民性を持っており、その努力する人の肌の色や人種や宗教や性的指向など全く関係がないのです。

 

 もし福岡市の近辺で努力をしているのに、差別されているという人をご存じの方がおられたら教えてください。私が会いに行きます。そして本当にそうならば、私が精いっぱいその人を支えたいと思います。

 

 差別されているという人の多くは、自分で差別されるようにしている人がいます。それは自分の主張だけを押し通そうとしている人です。日本人は話し合いを好みます。お互いが譲り合ってみんなが幸せになるように努力してきたのです。

 

 経済的格差など外国に比べれば圧倒的に少ないのです。それは海外に行けばすぐにわかります。

 

 日本は努力をした分だけある程度は報われるような社会です。それは世界の差別が存在する国々とは全く別次元のものなのです。

 

 冒頭のヤコペッティの残酷大陸でアフリカの黒人は人間でもあるにもかかわらず、動物のように扱われ方をしていると描かれていました。日本で差別があるといってもこんなレベルのものではありません。

 

 会田雄二先生の有名な「アーロン収容所」を読んで白人の有色人種に対する差別意識を確信しました。

 

 

 ただ「差別」という言葉が独り歩きしているのがとても気になってきました。それを岸田文雄という日本国の総理大臣が増長させるようなことを発言しているのです。

 

 皆さんもっと怒りましょう。

 

 そして総理大臣がこの差別を是正しますと言えば、次に来るのが予算化ですよ。

 

 男女共同参画事業でどれだけ左巻きや反日団体に税金が流れているのかご存じですか?それを半分是正するだけで防衛費は増税なしでできるほどです。

 

 外国人への生活保護? そんな人は日本の国費でいいからすぐにお帰りいただければいいのです。

 

 今ヨーロッパでは、そこに行けば働かずともお金がもらえると不法移民が続々と押しかけて大きな社会問題になっています。

 

 だからアメリカファーストやフランスファーストというような動きが支持を得つつあります。

 

 日本は豊かな自然に囲まれていますが、自分が努力をすれば報酬が得られるというお国柄です。そういうところに働かずともお金がもらえるという概念や移民は受け入れられませんね。

 

 差別?人の心で作り出されるものですが、そこには差別される人の心も含まれていると理解したほうがいいのではないでしょうか?