あれ?日本は古来から多文化共生社会じゃないの? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 盟友山口敬之氏のインターネット番組の「山口敬之インテリジェンスアイ」で紹介された岸田首相の「共生社会と人権に関するシンポジウム」に寄せたビデオメッセージを見て、驚き怒りを覚えています。

 

 

 

 

 日本って古来から衆議で物事を決める民主主義社会だったし、いろんな人を包括して仲睦まじく暮らす共生社会でした。

 

 どこに国にもある一部の人間の過激的な発言や差別は別として、ほとんどの日本国民はいろんな出自の人を仲間に取り込んできてその人の居場所を作り、それぞれの役割を果たして日本国を発展させてきました。

 

 差別はどこにでもあります。人種差別や性的差別など自分たちと違ったために差別が発生することは多々あります。

 

 以前女性差別問題の勉強会に参加した時に、講演会が終わって茶話会をするからと言われていくと、その主催者の女性から「これからは女性だけでやりますので、参加はご遠慮ください」と言われたことがあります。

 

 女性差別問題を論ずる場所で、その主催者が男性差別を公然とやるのです。その会のレベルがわかりますね。自分たちが差別しているのに気づいていないのです。自分たちで壁を作ってそして女性差別があると騒いでいるだけなのです。

 

 私は生命保険会社の営業所長として長年女性たちと仕事をしてきましたので、女性の働く環境や仕事と家事の両立に関してそれ相当の理解をし、見識も持っていますが、男性だからと言って排除されました。

 

 差別問題を考える人たちが差別をしているのが現実です。そしてその人たちが「左巻き」の一員だということを後で知りました。

 

 私たちがよくいろんな勉強会をしますが、反対派の方々も会の進行を邪魔しない限りは参加を大歓迎しています。邪魔をしたら、優しい私の仲間がすぐに対処しますし、変な意見を言えば私が優しく諭してあげます。

 

 そうやって参加した反対派の人が、ぽつりと言うのは「井上さんたちは、反対派と名乗っている私を受け入れてくれるが、私たちの仲間は、反対派をこうやって決して受け入れないのがおかしく思えてきた」と言われたことがあります。

 

 私は人間それぞれ違うのだから意見が違ってもいいと思っています。ただその向かっている方向が祖国のためにとか、日本国民のためになることであればどんなアプローチでもいいと思っているからです。

 

 だから自分は左翼と名乗る人でも、愛国者であれば仲良くなれますし、逆に愛国者と名乗っていても人種差別や人を見下す人とは付き合うことができません。

 

 この「祖国のために・国民のために」という一点さえ共通であれば、いろんな方法でいろんな立場から、そしていろんな能力で貢献できるはずです。それが真の多文化共生社会ではないでしょうか?

 

 百済を助けるために出兵した際に白村江の戦い(663年)で唐と新羅の連合軍に大敗を喫しました。その際に「遠の都」と呼ばれた大宰府を防衛するために長さ1.2キロの水城(みずき)が建設されましたが、この時に主な労働力になったのは滅亡した百済から逃れてきた人たちでした。いわば難民です。

 

 その人たちを使って大宰府防衛のための水城を建設するのですが、建設に従事した人たちに工賃として日本で定着するのに必要なくらいの金額を支給しました。難民に仕事を与え、その給料を支給することにより、自分たちの生活が日本で根付くことをさせたのです。百済からの人たちは日本各地に住みそして日本人として生きてきました。

 

 秦氏などがそのいい例ですね。

 

 今大勢の難民が不法移民となってアメリカ国境に押し寄せて、それに対処しないバイデン政権はこれを社会問題化しているにもかかわらず、無策です。人道的にその人たちにも人権があるからというポリティカルコレクトネス(ポリコレ・きれいごと)で済ませようとしています。その不法移民から遠くに住んでいる人は影響ないのですが、テキサス州などは一日1万人にと言われる不法移民が入ってくるけれども、連邦政府が何もしないために、テキサス州兵を動員してこれに対処することを決めています。

 

 もし内戦や経済的不安定の南米でこの水城建設のような仕事(公共工事)を各地で行えば、アメリカに来る不法移民は減るのではないでしょうか。でも欧米型の難民対策は住むところと食べ物を与えるだけでコミュニティの建設まではタッチしないようです。

 

 大東亜戦争時、敵性国民として強制収容所に入れられた日系人たちはそこで運営委員会を作り、それぞれの特性や職業に応じて作業を割り振り、不自由な強制収容所の中で得られる最大限の誇りを保ったと言われています。

 

 このように日本人は持ち前の勤勉さと社会性で秩序ある集団を作るのです。

 

 しかし、秩序を乱す人たちに対しては制裁は厳しく、「郷に入っては郷に従え」を強いることもあります。外国人に対しても同等のルール順守を求めます。それをきちんと守るならば仲間として受け入れるけれども、傍若無人にふるまうときは断固たる態度をとってきました。

 

 日本国内で差別がある?

 

 どんな人が差別を受けているのとちゃんと調べているのでしょうか?その差別を受けたという人が自分の文化を強烈に主張していた場合、周りのコミュニティから排除されることはあると思います。自分たちの生きる地域を安定させるために必要な措置だと思います。

 

 でも、なんか岸田総理のメッセージを聞いていると、そういう日本人コミュニティが受け入れられない主張をしている人たち、つまり大きくルールを逸脱している人たちの側に立って物を言っているように思えるのは私だけでしょうか?

 

 テレ東の番組で日本や日本の文化が大好きな外国人を日本に招いて伝統文化を守っている職人さんや料理人のところに行ってもらうという企画番組がありますが、受け入れてくれる日本の職人さんやその家族らとの心温まる交流を見ると胸が熱くなります。そして招かれた外国人も日本の文化や習慣をとても尊敬し、畏敬の念をもって接するからなおさらです。

 

 あれが大なり小なりの日本の社会を表していると思います。

 

 「そこに差別はあるんか?」とつい大地真央のあのCMのセリフになってしまいます。

 

 日本の総理大臣が自国の現状もちゃんと見ずに自国を貶めるようなことを平気で発言することに激しい怒りを感じます。

 

 LGBT差別? 私はマツコ・デラックスが司会をする番組が大好きです。マツコ・デラックスがおかまだろうが何だろうが関係なく、彼(彼女)?の言う本音や着眼点に注目しています。

 

 こんな国は世界中にありません。

 

 差別のない国はありません。日本だってそうですが、その程度が違うのです。

 

 日本は平安時代から女性の作家がいて、ベストセラーになっています。江戸時代、目の見えない人しか「按摩」と「金貸し」はできませんでした。部落民しか「肉の処理」は扱うことができませんでした。そして部落民の一部しか崩御された天皇の棺を担ぐことはできませんでした。

 

 これを明治になって西洋の尺度で判断し、自由にしたとたんに、いままでちゃんと生活できた目の見えない人や部落民と呼ばれた人たちが立ち行かなくなる人が続出しました。

 

 職業選択の自由は素晴らしい思想だとは思いますが、ちゃんと社会的事情も考慮しなければ社会に混乱を招くだけではないでしょうか?

 

 この問題はとても扱うのが難しいのですが、私は愛国者ならばどんな思想も受け入れるというスタンスで人と接しているのでそれを差別と言われても「だからなんなの?」と反論することでしょう。

 

 一部の急進的な少数派の意見を尊重することは、多くの国民つまり多数派の権利を大きく損なうことになるのです。

 

 それに気づかない岸田総理は一刻も早く退陣願いたいと思っております。