父田中角栄のレガシー(遺産)をすべて灰にした田中真紀子 | 井上政典のブログ

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 昨日、目白の田中邸から出火し、昭和の歴史的財産がすべて焼けたとの報に接し、また昭和が消えていったと思いました。

 

 田中角栄という稀代の政治家はとかく金権政治家と言われ続けてきましたが、資源外交を独自に展開したため、セブンシスターズと言われる石油メジャーから蛇蝎のように嫌われ、ロッキード事件というどこまで本当かわからない収賄事件で総理大臣の職を引きずり下された人だと私は評価しています。

 

 私が政治に興味を持ち、マスコミの報道に対して疑問を持ち始めたのは、この田中角栄元総理の事件以来だといっても過言ではありません。

 

 とにかく演説がうまかった。それは今でもネットに上がってくる動画を見ることができるでしょうが、浪花節を基本とした間の取り方、抑揚のつけ方、そして人情噺の入れ方どれをとっても今の政治家では到底かなわないものでした。

 

 そして角栄さんのエピソードには枚挙のいとまがなく、いろんな本が出ています。

 

 特に好きでこの目白のお屋敷にまつわる話が、正月になると政財界の要人がお年賀に集まりました。そして角栄さんを囲んで大宴会が始まるのですが、宴もたけなわの時に角栄さん自身は席を外します。

 

 そして下駄をはいて家の周りに駐車している要人たちの運転手さんのところを回るのです。

 

 運転手さんたちは自分の先生たちが中にいる間、何もすることがないので、車の中で寝ています。

 

 その時に窓をコンコンとノックする音が聞こえ目を開けると、そこにはあの田中角栄自身が車の外に立っているのです。

 

 びっくりして窓を開けると、角栄さんは「おうおう、正月からご苦労さん」といって、お年玉を運転手さんたちに配って回っていたというお話です。

 

 これは田中角栄という人が今太閤と呼ばれるほど一代でのし上がりましたが、どんなに偉くなっても裏で働く人の苦労を忘れなかったというエピソードです。

 

 これをまじかで見ていたはずの小沢一郎や田中真紀子はこの角栄さんの人間味あふれる行動を全くとりませんでした。

 

 小沢一郎は、東北大震災の時に放射能が怖いと東京からとっとと逃げ出し、関西方面に行っていたという話を元奥さんから暴露されています。

 

 また田中真紀子は娘ながら早稲田大出身の妻女で、角栄さんの奥さんの代わりに総理の外遊にファーストレディ代行として行っていましたが、この人のことを良く言う人に会ったことがありません。

 

 使用人はすべて奴隷とみなし、部下に対してはパワハラ三昧ということでした。

 

 印象的な場面として、角栄さんの懐刀で第一秘書の早坂氏が田中真紀子氏が選挙で当選した直後にテレビ番組で東京のスタジオから早坂氏が「真紀子ちゃんおめでとう」と呼びかけました。すると真紀子氏は新潟の地元で聞こえないふりをし、「もしもし」とせわしなく言って、「あれ、繋がっていない」と言ってのけたのです。

 

 その直前まで東京のスタジオとはつながっていましたし、映像もちゃんと流れているので、明らかに不仲だと言われていた早坂氏との会話を避けたのです。

 

 この時にテレビを見ながら、「なんだこの女は?!」と強烈な印象を受けました。

 

 そして小泉純一郎氏が何度目かの総裁選に出て、「自民党をぶっ壊す!」といってあれよあれよという間に本命の橋本龍太郎氏を打ち破って自民党の総裁になったときの立役者として活躍しました。

 

 角栄さん譲りの演説の上手さで聴衆を魅了し、聞き入らせ、笑わせ、そして自民党とくに父を裏切った旧田中派にあてつけたのです。

 

 そして小泉内閣発足後は外務大臣となりました。

 

 ここまではネットもない時代にテレビと新聞だけでの印象でした。その後当時の様子を良く知っている人何人かに聞いたので、だいぶ様子がわかってきましたが、田中真紀子氏は外務大臣として二つの大ポカをするのです。

 

 一つは金正日の長男の金正男氏が偽造パスポートでの入国が発覚した時の対応です。

 

 慌てて送り返してしまうのです。せっかく拉致被害者を取り返す材料になったのに、自分が外務大臣の時にいらない面倒を持ち込むなと慌てたのです。

 

 あの時に、この人はアジテーターとしては有能だけど、政治家としてはだめだなと思いました。

 

 もう一つは、9.11同時多発テロの時にアメリカ側の機密情報をぺろっとマスコミの前でしゃべってしまったのです。たしか、大統領の居場所に関しての情報でしたが、あまりにも不用意な発言のため、日米ともにびっくりしていました。

 

 その後当然のごとく外務省内と軋轢が生じ、小泉さんが「泣いて馬謖を切った」のです。

 

 その他いろいろありましたが、この人は他人をけなして笑いを取るのは上手だけど、政治家としてその前に人間としてあまりにも出来が悪いなと思っています。

 

 旦那の田中直紀氏は自民党を離党し、民主党に入党しました。そして野田内閣の時に防衛大臣になりましたが、国会答弁があまりにお粗末ですぐ後ろの役人がメモを出してくるので、「二人羽織」と称されましたが、それでは納まりつかず、いろんな官僚のメモが後ろから手が伸びてきて渡すものだから、「千手観音」とも言われたことのあるポンコツでした。

 

 田中真紀子氏が全盛の時、当時の国会議員たちは角栄さんにお世話になっていたり、弱みを握られていたので暴走が止められず、田中角栄時代にまだ秘書だった鈴木宗男氏だけが渡り合っていました。

 

 全焼した目白の屋敷にはそういう歴史がいっぱい詰まっているところでした。もしかしていろんなメモがそこには残されていたのではないかと邪推しています。それを出されるととてもまずい話がぞろぞろと出てくるのではないでしょうか。

 

 それらを隠ぺいするために、火をつけたのではないかと邪推してしまいたくなるのはきっと私だけではないと思います。