先日全国ニュースにもなった車の衝突事故に巻き込まれて死亡した90歳の方がなんと私の友人でした。
まっすぐに走ってきた車に横から一時停止せずに突っ込んだ車が衝突し、衝突された車がお弁当屋さんで待っていた私の友人に激突、死亡した事件です。
あれは私の町内で起きた事件で、まさかと思いましたが、名前が出てきて確信しました。昨日その方の告別式に出席してきました。
この方は地域活動を積極的されており、日向ひょっとこ踊りの地域の発起人で、誰とでも気軽に話す明るい性格の人で、地域の方々からもとても信奉の厚い方でした。
私も約20年前に次郎丸に引っ越してきて自治会に入ったときに、気軽に声をかけてきていただき、とても安堵した思い出があります。地域の行事の度にお会いしていましたが、武漢コロナでしばらく会えずにいました。
テレビで知り合いの名前がでるとは本当にびっくりでした。
告別式で初めて知ったのですが、奥様が12月2日に亡くなっておられ、密葬で葬儀が終わったばかりの出来事で、喪主の息子さんも突然の悲報に涙を流しながらの挨拶でした。
孫やひ孫に恵まれ、最近まで夫婦仲良く暮らし、地域とともに生きてこられた方でした。
ご冥福をお祈りします。
以前は葬式に行っても早く終わらないかなと不謹慎なことばかり考えていましたが、最近はもし自分の葬式だったらどんな人が来てくれるんだろう?とか、孫たちはどんな反応を示してくれるのだろうかとかを考えるようになりました。
人生の折り返し地点をすでに過ぎている身としては、自分の終わりも考えなければならないゾーンに入ったのだと実感します。
また毎日、政治や国際情勢などの情報を身近に聞いていると、DSと呼ばれる存在がだんだん正体を現し始めています。以前はその存在を知るすべもなかったのですが、最近はその影がだんだんくっきりと見えてくるようになりました。
世界の枠組みが大きく変わろうとしている時だと思います。
そのDSが支配できなかったのが、ロシアのプーチンであり、トランプ大統領であり、安倍総理だったと思うようになったのです。
そしてもう一つは私たち日本人の心です。
この私の友人はDSの存在など全く知らなかったと思います。でも、自分の人生を精いっぱい生きて、家族を作り、そしてその家族も孫、ひ孫とどんどん大きくなっていったのです。この人の幸せは誰からも影響を受けておらず、自分の足でコツコツと築いたものだったのでしょう。
生きていれば、いいことも悪いこともあるでしょうが、それを人の生にせずに自分の至らなさを反省をして過ごされてきたのでしょう、だから誰にでも笑顔で接し、町内会でも特に新入りにやさしく接してくれたのだと思います。
政治や国際情勢を知れば知るほど暗くなります。特に今の日本の現状は最悪です。
ニュースは安倍派の裏金問題か大谷選手の大型契約かのどちらかです。
でも、今はそれしか問題がないの?といつも思っています。しかし、テレビは視聴者が興味を持ち見てくれそうなものを制作するのです。または何度もテレビで流して、それがさも重大事件のように国民の目をくぎ付けにするのです。
つまり手品師の右手の役割をするのです。
ロッキード事件というのものがありました。田中当時の総理のスキャンダルで今太閤と言われた田中角栄氏が短命内閣に終わった原因となる事件ですが、田中角栄氏も石油の輸入をセブンシスターズと言われる石油メジャーからではなく、資源外交と称してそれ以外からも輸入できるように動いたり、日韓大陸棚協定を日本有利に結ぼうとしていましたが、スキャンダルまみれになり、とうとう退陣して、それらのことはみな日本の不利になるようになってしまいました。
あの時、田中角栄氏があと数年総理の座についていたら、もっと政治や日本の立ち位置は変わっていたかもしれません。最近になって田中角栄氏が見直されてきていますが、すでに遅いのです。
安倍さんが暗殺されて一年半しかたっていませんが、すでにあの時の輝きはなくなっています。そしてすでに安倍さんはなくなっているのに、「安倍派の議員」と連日報じて、いかにも安倍さんが悪の元凶のような印象をつけています。
そうやってイメージを操作して、暗殺されたのは仕方ないと思わせたいのでしょうか?
あの安倍さんの死の真相をきちんと究明することが日本にとって重要なことだと思うのですが、なぜか皆見て見ぬふりをしています。
その権化が岸田総理です。
あの人は心がないのでしょうか? 人間の中身が空っぽのように見えるのは私だけでしょうか?
暗殺されても仕方ないと覚悟を決めて総理大臣をしていないから、国民に見透かされているのです。なにも戦おうとはせずに何かにおびえて心に全く残らない空虚な言葉を並べています。
「火の玉になって」といった言葉も「火だるまになって」と聞こえてしまうのです。
一個人の死を見て、国家の中枢が腐っていると語るのもおかしな話ですが、日本人一人一人はまだまだ捨てたものではありません。大都会ではどうか知りませんが、地方や田舎では脈々と大和民族の血が熱く流れているのです。
自分のことだけでなく、他人のことも自分のことのように思いやる心や、困っている人に手を差し伸べる優しさ、そして一所懸命に自分の分を弁えて各々の役割を果たす日本人はまだまだ死んでいません。
もし周りにそんな人がいなくなっても最後の一人になる覚悟を持っている人は大勢いると思います。
そんなことをお経を聞きながら考えていました。