給食費を払っているから「いただきます」を言わせない? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 香港にいる時にこの記事を読んだのですが、PCをもっていっていなかったために、記事が書けなくてイライラしていました。元記事を探したのですが、ちょっと見つからないので、もしご存知の方がいらっしゃったら、教えてください。

 

 その記事は

 「給食費を払っているのに子供に「いただきます」を言わせるのはおかしいとクレームがついてその学校では言わなくてよくなったという話でした。」

 

 この記事を読んで二つのことに腹が立ちました。

 

 一つはクレームをつけた親。もう一つはその頭のおかしい親を説得できずに言わなくてもいいようにした学校にたいしてです。

 

 なぜ「いただきます」をいうかという前に、皆さんはお箸をどこを置いていますか?

 

 自分と料理の間にお箸をおいていることだと思います。それにはちゃんと意味があるのです。

 

 このお箸の位置は、結界を著します。つまり、自分と料理の命との境目だということです。

 

 私たちは他の命を食して自分の命を長らえています。他の命を貰わないと自分の命を継続できないのです。

 

 その境目にお箸があり、そのお箸によって、こちらの命とあちらの命を区別しているのです。

 

 お魚や肉やお野菜の命をいただかないと私たちは生きていけません。だから感謝の気持ちを込めて「いただきます」というのです。

 

 この「いただきます」は、いまから食する命に対しての感謝の気持ちの言葉であることが第一番目です。

 

 この点を押さえると給食費を払っているとかどうのこうのとクレームをつける人の薄さ、軽さがよくわかると思います。

 

 そして次に食べ物を作ってくれる人、生産者や料理人の方々への感謝の気持ち、それを払っている親への感謝の気持ちなどが続きます。

 

 いただきますを言わせない親は自分の子供に感謝の気持ちを持ってほしくないのでしょうか。

 

 そして腰砕けの学校側への一言。

 

 給食費を払っているからとモンスターペアレントから言われたら次のように答えましょう。

 

 「ええ、給食費を頂いています。それはお子様が食べる材料費の分だけですよ。調理設備や施設やそこで働く人件費は税金で賄われており、あなたの給食費だけで運用できているものではありませんよ。」と答えてあげましょう。

 

 日本では食べ始める時に、「いただきます」をいって、命に感謝、人に感謝、親に感謝の気持ちを醸成します。これこそ教育であり、その気持ちを育ませることのどこにおかしい点があるのでしょう。

 

 外国に行って思うのですが、日本はお金を出せばすぐにどこでもいつでも手に入ります。しかし、いくらお金を持っていても手に入れられない時があるのです。

 

 日本では自動販売機が至る所にあり、のどが渇けば冷えた飲み物を買うことができますが、香港で自動販売機を街中でも見つけることができずに数百メートル歩きました。

 

 小銭をいれようとすると、プリペイドカード対応型で小銭を入れる投入口がない機会もありました。このカード便利ですべての乗り物や買い物にも使えるキャッシュレスのカードです。東京などの都心部では当たり前でしょうが、まだ地方ではここまで発達していません。

 

 通貨流通量をきちんと把握しておきたいCHINA政府の思惑があるのでしょうが、香港ではキャッシュレスがとても進んでいるように思えました。

 

 まあ、感謝の気持ちのない人間と一緒に仕事やプロジェクトをしたくないものです。常に衝突しなければならないし、人間関係がぎすぎすしてしまいます。でも、感謝の気持ちを持つ人間が集まる組織は、円滑に物事が進みます。

 

 その第一歩が食事の前の「いただきます」といっても過言ではありません。それも家の食事時には言わせて、学校では言わせないとすると子供の心の中に差別の心が生まれることに気づかないのでしょうか。

 

 世界中の人たちが感謝の気持ちを持てば、世界平和がより現実のものになります。

 

 まず自分の周りから、そしてとくに隣国にこのことを早急に教えたいですね。