哀れな姿の小室哲哉、この姿を文春や新潮は見たかったのか? | 井上政典のブログ

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 小室哲哉氏は稀代なる天才だと思っています。

 

 才能に恵まれ過ぎたのでしょうか、後半の人生に襲い掛かった数々の試練に押しつぶされようとしています。それに拍車をかけたのが今回の文春砲です。

 

 私とほぼ同じ年代の小室氏の輝ているところを見てきた世代としては、あんな哀れな焦燥しきった姿は見たくありませんでした。

 

 多分たくさんの方も同じご意見だと思います。

 

 不倫はいけないといっても芸能人の不倫と政治家の不倫は次元の違うものだと何度も主張しています。

 

 むかしは芸人が女遊びをするのは「芸の肥やし」だという風潮があり、酸いも甘いも嚙み分けてからこそわかる人情の機微を芝居や歌や話術という芸で表現しました。

 

 だから、それに能力がついて芸能というのです。英語ではタレント(能力)ですよね。

 

 歌うま選手権というような番組があり、いろんな歌が上手い人が出てきてカラオケバトルを繰り広げています。若い子も抜群の声量と歌唱力で全身全霊をこめて歌を披露するために時々引き込まれるように見ることがあります。

 

 でも、何かが足りないのです。歌唱力はあるし、声量もある。テクニックもあれば魅力もあります。

 

 でも、やっぱり何かが足りないのです。

 

 それを突き詰めて考えると「その人が経験した涙の数」ではないかと思うようになりました。

 

 身を焦がすような恋愛をしたことがない人が、どんなに歌をうまく歌っても「歌がうまいね」と感心はしても、私の心を揺さぶるだけの感動は与えてくれません。

 

 ある時日本語の上手な外国人が『ふるさと』を歌っていました。その人は母国から離れて日本で暮らしています。だからこの歌を歌う時に自分の故郷を思い出しているのでしょう。

 

 「ふるさと」という言葉は同じでも、考えている場所は大きく違います。

 

 でも、彼が歌う『ふるさと』を聞いて、今は亡きばあちゃんの笑顔を思い出し、胸が熱くなりました。小さいときにおんぶをしてくれた背中のぬくもりを思い出しました。

 

 「ふるさと」というキーワードによって各自各様の思い出を引き出すことができ、心の震えが止まらなくなります。

 

 これが芸能であり、芸術だと思います。

 

 小室哲哉氏の作り出す楽曲によって体からほとばしるエネルギーを発散させたという人は多いと思います。素敵なメロディーに心振るわせた人もいると思います。その曲を聞くと昔の彼女や彼氏のことを思い出すという人も多いと思います。

 

 小室氏が我々の世代が直面している介護という問題で疲れ果て、特に彼の場合は「奥さん」の介護です。自分の親の介護よりももっと大変だと思います。

 

 その人がいくばくかの安らぎを求めてもいいではないですか。

 

 他のことは何の心配もなく、あふれ出てくる才能で楽曲を作っていた時とは全く状況の違う中で周囲から求められるものはどんどん高くなっていっている状況に於いて、小室氏の精神的苦悩にさいなまれた記者会見だったと思います。

 

 芸能人だからあれをしなければいけなかったのでしょうか。

 

 あそこまで赤裸々に私的なことを語らせたのはいったい誰なのでしょう。

 

 芸能人は自分の芸で大衆を魅了し、お金を稼ぐ仕事です。その人の私生活が覚せい剤などの報に触れない限り、夫婦間のことなどこんなに大きく扱う必要はあるのでしょうか。

 

 あの松井某というおばさんもそうです。公共の電波を自分の復讐劇に使っていいのでしょうか。

 

 芸能人や芸人の私生活は見たくもありません。私が見たいのはその人たちが舞台やスクリーンやステージで披露する超一流のパフォーマンスです。

 

 エディットピアフは売春宿で生まれ、不幸のどん底から這い上がってきました。愛する人がやっと現れても幸せの絶頂で事故死で引き裂かれたりしたのです。ですから「愛」というものがどれだけ儚く、そして尊いものなのか知りすぎるほど知っていたのでしょう。

 

 彼女の歌う「愛の賛歌」はフランス語がわからなくても全世界の人々を魅了しました。そこには言語を超えた力があったのです。

 

 ジョンニュートンは奴隷船の船長でした。たくさんの罪もないアフリカの原住民を無理やり船に詰め込んで奴隷として売って大もうけをしていました。ある時船が沈み海へ放り出されました。彼は神に助けてくれと祈ったのですが、神は何の反応もしません。

 

 何度も何度も助けてくれと祈ったのですが、無情にも海に漂う日々が続きます。そしてとうとう命の灯が消えかかった時に、彼は気づくのです。自分は神が助けてくれるのにふさわしい人間ではないと気付くのです。

 

 自分は罪の無い人たちの人生を奪ってぜいたくをしてきた。自分の栄華の陰にはたくさんのアフリカの人たちの涙があると気付いたのです。そして自分は神から助けてもらうのにふさわしくない人間だったが、もし助かったら心を入れ替えることを神に誓うのです。

 

 するとその誓いが神に届いたのか、彼は救助され一命をとりとめます。

 

 そこで彼は小さな教会を作り、貧しい人のために神のしもべとして尽くします。

 

 彼の財産はすぐになくなり、貧しい人の献金では教会の運営費も賄えなくなります。そこでかれは讃美歌を作り、それを売って教会の運営をしていくのです。

 

 たくさんの楽曲を作りますが、その中で最も有名なのが「アメージンググレース」なのです。

 

 ぜひ、検索してその歌詞の内容を味わってみてください。自然に胸が熱くなってくるでしょう。

 

 素晴らしい曲です、心に響きます。でも、歌詞を理解し、これを作ったジョンニュートンの人生を知るともっと違う場面が開けてくるでしょう。

 

 人は苦労し悩むからこそ大きくなれます。初めからできた人間なんかいないのです。

 

 赤子の時は一人では一日たりとも生きることはできません。10年以上経って初めて自分で生きることができるようになり始めるのです。それまでたくさんの愛情や友情が周りで助けてくれます。温かく見守ってくれた人がいるから今大人として生きているのです。

 

 稀代の天才小室哲哉氏の復活を待ち望んでいます。

 

 人生の試練を乗り越えた天才の創った楽曲をもう一度聞きたいと思っています。

 

 きっとそれは人々の心に魂に響く名曲になることでしょう。

 

 小室哲哉さん 私はいつまでも待っていますよ。