昨日は陸王の最終回でした。
こういう結末になるのは知っていたけど、久々にテレビを見ながら感動しました。
何事にも一所懸命に努力する姿、そしてその努力が結実し、みんなが幸せになる姿は美しいですね。
「一生懸命」って使う人がいますが、これは本来の日本語では「一所懸命」であり、鎌倉武士が自分の所領を命を懸けて守るということが語源です。戦後になってから一生懸命と言う言葉が増え始めました。
それでも40年ほど前までは広辞苑でも「一生懸命」は俗語扱いだったのですが、最近の広辞苑では一所懸命も一生懸命も同じ扱になってきています。
でも、陸王を開発した人たちは一生懸命にしたのでしょうか。自分の使命を一所懸命にしたと私は思っています。
それぞれの役割をそれぞれの場所で一所懸命に果たしたからこそ、その集大成として大きなことが成し得たと思っています。
人は得てして有名な人、時の人、権勢を持つ人に集まりやすいものですが、今一番つらい人の所にどう寄り添うことができるかが大切だと思っています。でも、私も聖人ではないし、時間もお金も限られていますから、すべての困っている人や落ち込んでいる人に寄り添うことはできません。
でも、身近なところからひとつづつ対処していけば何とかなると楽天的に思っています。
陸王のマラソンシーンがとてもよく描けてました。普段のマラソン中継よりも臨場感あふれる映像になっていたと思います。
一流のマラソンランナーを実際見るとすごいスピードで駆け抜けていきます。よくあんな速度で42キロも走れるものだと思うのは私だけではないでしょう。それを支えているのは、監督、チームの仲間、靴をはじめとするサポートチーム、そして沿道の観客とどれ一つが欠けても良い結果は望めません。
皇居での一般参賀でご譲位される天皇陛下の笑顔が今までとちょっと違うと感じたのは私だけでしょうか。
これまでは天皇という重責を感じられておられたのか、どことなくぎこちない笑顔でしたが、今回の映像を見る限り、自分を支えてくれた仲間との心の交流をされるが如くの笑顔のように見受けられました。ほとんど私事の無い天皇陛下のお顔にちょっとだけ人間としての感情が宿っていたのではないかと思います。
そういうお顔を拝見できて何か心がほっとする想いが去来しました。毎日24時間常に国民のことを思われて、祈りを捧げておられる天皇と言う立場の重さは私たちのように凡人には図り知れないものがあるのでしょう。
天皇陛下がお示しになっている上に立つ物のとしての模範が日本人のすべての基準になっていると思っています。
だから威張り散らすトップはみんなから嫌われます。
とても厳しくて神経がびりびりと張りつめたように接しなければならない上司もその人自身が自分を律し、たゆまなく努力されている姿をみると、時間はかかりますが、上司として信頼されていきます。陸王に出てくる陸上部の監督のように。
松岡修造扮する新興企業の社長が、自分も何度も挫折したことがあるからこそわかる人間に対しての優しさと厳しさ。利害だけで動かず、人の努力を正当に評価できる上司と言うものがどれだけ大切かということを教えてくれました。
松岡修造氏は役者として素人とはいえ、迫力を持った経営者を演じ切れていました。これにはキャスティングの凄さを感じました。
白鵬が最近の驕り高ぶった態度をそうとう批判されています。
横綱になるために本人も血のにじむような努力をしてきたでしょうが、その周りも白鵬を精一杯支えてきたはずです。ですから、神の依代であるしめ縄を体に巻く横綱は人間としても高い品位を保たねばなりません。
高い品位とはすなわち感謝の気持ちだと思っています。それが少しでも欠けると人によっては傲慢に見えてくるのではないでしょうか。
私たち日本人は常に天皇陛下の所作を見て自分を反省しています。だからきちんとした国家観を持つ経営者は偉大ですが、ただのちょっと小賢い人が時代の波に乗って巨万の富を築いても、人からの尊敬を勝ち得ることができないのはそういう理由だと思います。
日本は最高の権威を持つ人から自分をできるだけ捨て、公に対しての立場の言動をとるのです。これこそが背私向公です。
私たち凡人は一人ではできません。だから仲間と共に歩むのです。その歩みがどんなに遅くとも前に向かっていれば常に希望を持ち続けることができます。それを天皇陛下は私たちに自らがお示しになっています。
法律がどうのこうの、憲法がどうのこうという前に日本には法律をはるかに超える行動規範を天皇陛下がお示しになっておられるということに気づけばこんなに住みやすい国はないと思います。
どんなに困難があっても常に明るい未来が待っていると信じれば道はからなず開けると思っております。
それを心に思い出させて、勇気をもらった最終回だったと思います。