「日本は侵略しないが、侵略もさせない!」と 相撲問題を考える | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 先週の金曜日に福岡の正論懇話会で自民党参議院議員山田宏先生の講演で言われた言葉です。

 

 実に簡潔で言い得て妙の表現ではありませんか。

 

 山田宏氏は杉並区長を11年にわたって務めた経験のある実践的な政治家です。国会議員だけのキャリアを重ね、議論のための議論を重ねた人とは一味違った感覚を持っておられます。

 

 10年ほど前じっくりとお話させていただいたことがありますが、その時も分かりやすい表現でお話される方だと思っておりました。

 

 「日本文化を玉ねぎに例えると、たくさんの皮があり、それを丁寧に一枚ずつはがしていくとその芯に当たります。それがご皇室です」と言われたことがいまでも忘れられません。

 

 今回は表記の言葉でした。「日本は侵略はしないが、侵略もさせない!」というのが憲法9条を会見したいと思っておられる善良な愛国者の方々の心情ではないでしょうか。

 

 私は日本が大好きです。 

 

 日本人として日本に生まれてよかったと思っています。

 

 日本の文化や歴史に対して誇りを持ち、これをもっと世界に広めたいと思っていろんな活動をしています。

 

 でも、他国の文化を否定はしません。それぞれの国にはそれぞれの歴史と文化が存在するからです。日本から見たら、奇異な習慣や考え方が存在しますが、それを見下すような傲慢な態度は日本の文化にそぐわないと思っています。

 

 でも、外国の方が日本の文化伝統に興味を持ち知りたいと言われれば、喜んでその要望に応えてあげたいと思っています。

 

 大相撲が日馬富士の暴行事件で白鵬の傲慢さや貴乃花親方の奇異な行動により、マスコミの大部分の時間を占めています。

 

 本来はもっと別の重要な問題があるのですが、これをしないと視聴率が上がらないそうです。見ている国民の側にも問題がありますが、それだけ大相撲が国民の関心事だと言えるでしょう。 

 

 そこで私の見解をちょっと述べさせてもらいます。

 

 大相撲は大きな国民の関心事であり、現在の価値観からはちょっとかけ離れたしきたりや習慣が残っています。それを踏襲するのが伝統を守ることなのか、それとも時代に合わせて変化させていくべきものなのかを考えるいいきっかけになるかもしれません。

 

 私の小さいときは、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代でしたが、この三つとも全く興味がありませんでした。

 

 小学校五年生の時(50年ほど前の事です)、北海道旅行をした際にバスのガイドさんが横綱大鵬の実家のことをしゃべっていたことを思い出しました。

 「大関の頃は、訪れる人も少なく、横綱になったらお知らせしますね」と大鵬のお母さんがよく言われていたそうです。でも、横綱に昇進すると毎日大勢の人が実家を訪れるようになり、だれもお知らせを貰っていないと言われていたのを昨日のことのように覚えています。

 

 横綱柏戸と横綱大鵬が全盛時代その名前から「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれるようになり、その名前から、現在の横綱白鵬の名前が付けられました。

 

 白鵬が目指した大鵬の連勝記録は45で終わりました。でも、その際世紀の大誤審と言われ相手の戸田の足が先に出ていたのですが、大鵬はそのような疑惑のある相撲をとった自分が悪いと一切行事の軍配に文句を言いませんでした。

 

 その大鵬を目指した白鵬が先場所の土俵で見苦しい態度をとったことはあまりにも残念です。

 

 話を本題に戻しますが、大相撲は伝統としきたりの下に長く続いてきました。何度も改革をしようと試みていますが、その練習方法などは昔からの本来の稽古の方が理に適っています。

 

 相撲部屋に見学に行くと、若い力士の股割をしているところを見ることができるでしょう。大の巨漢が悲鳴を上げているのです。でも股関節を柔らかくしないと怪我に繋がり、将来体重が増えて大きくなった時に、大成できないのです。

 

 あの巨漢の横綱稀勢の里や大関髙安が両足を180度開いて体を前に倒せるほどの柔らかさをみてみんなびっくりしますが、それが当たり前の世界です。

 

 大きなおなかを触ってみるすぐにわかるのですが、バチバチの堅さを持っており、全身が鎧で覆われているようになっています。

 

 これも徐々に体を大きくして、筋肉だけではなく、関節もその大きさ重さに耐えられるようにしていくことが大切なのです。バーベル類も置いてありますが、筋トレに走ると故障が増えます。それは筋肉の強力なパワーに関節がついていかないからだそうです。

 

 4年前に田子ノ浦部屋に見学に行った時にそこには三人の関取がいて、当時十両だった若の里、大関の稀勢の里、そして髙安がいました。私たちがちゃんこを食べていると稀勢の里が風呂から上がってきましたが、ちゃんこに箸をつけません。

 

 不思議に見ていると髙安が上がってきました。髙安も箸をつけません。

 

 そうしていると若の里が上がってきました。十両の若の里が食べ始めると大関の稀勢の里が食べ始め、それに続いて髙安も食べ始めました。その一連の行動をさりげなくしていたので、親方に確認すると「先輩の若の里が箸をつけない限り後輩の稀勢の里は箸をつけません。」と言われて感心しました。

 

 番付が上がっても自分がこの地位にあるのは先輩のおかげだという気持ちがあるのです。十両の若の里も大関を立てますが、大関も先輩を下に見ることはありません。何かいいものを見たとほっこりした思いで部屋を後にしたことを覚えています。

 

 そういえば親方も私と食事している時も、まじめな話をしはじめるとちゃんと箸をおき、話を聞かれます。

 

 こんなことは勝敗にはまったく関係の無いことですが、相撲というものがただの格闘技ではないと示唆する一つの例ではないでしょうか。

 

 モンゴルではというよりも日本以外の国では、力こそすべてだと言っても過言ではないでしょう。

 

 白鵬も朝青龍がいた時は、控えめで悪ガキ朝青龍、優等生白鵬というキャラのように見え、白鵬が目指した大鵬の再来かと思った時期もありました。でも、朝青龍が去り、モンゴル勢で最高位になった時から徐々に変化していったように思えます。

 

 これがモンゴルでは当たり前なのでしょうが、日本の相撲には合わずに、白鵬の優勝40回という大偉業は認めますが、前代未聞の横綱による物言いや千秋楽の分を越えた発言に繋がっていくと思います。ただ、万歳三唱は暗いムードのなか、白鵬の発言に将来の明るさを感じた当日相撲を見に来られていたファンの方々が突如の万歳にすぐ呼応されていましたので、ありかなと思っています。

 

 マスコミで大相撲がさんざん叩かれているのです。ファンが一番その行く末に暗澹たる思いを持っているのです。それを払しょくできるような白鵬の万歳です。いいのではないでしょうか。

 

 でも、この問題はモンゴル社会の階級の一番上の白鵬がいてその下の日馬富士が貴ノ岩の白鵬に対する態度を忖度して制裁をした時に止まらなくなってしまったと思っています。でもその暴行を止めることができたのはトップの白鳳だけです。それをしなかったのは、明らかに白鵬の落ち度ではないでしょうか。

 

 稽古を見に行くとその激しさは形容の使用がないほどです。大の男が泣きながら土俵に這いつくばり、それを足でけられて土俵からどかされたりします。

 

 でも、その真剣な稽古を見て感動するのです。毎年九州場所の時に見はじめてもう4年目になりますが、もやしのようだった青年が丸太のような足や腕になっていくのを見たり、去年までは涙を流していた若者が、堂々として強くなっているのを見るのもお相撲の楽しみだと思います。

 

 ただ稽古場のかわいがりを座敷に持ち込むのは良くないことです。そのけじめをつけられなかったところに日馬富士の落ち度があり、それをすぐに止めなかったのが白鵬の落ち度であると思います。

 

 ところが協会は看板力士の白鳳に泥をかぶせまいとしてかばっていることに貴乃花親方が反発しているように思えます。

 

 長くなってしまいましたが、私が言いたいのは、大相撲という昔から日本に伝わっている伝統風習に対して外国人が入ってくるのは全く問題なく、逆に大歓迎です。でも、あくまでもしきたりはしきたりとして尊重してもらわなければならないと思っています。

 

 それに従えずに自分たちのルールを持ち込むのであれば、横綱であろうとも速やかに退場してもらわねばなりません。

 

 海外からのたくさんの観光客も大歓迎です。でも、日本の習慣を守ろうともしない人たちはいりません。

 

 ちょっとでも中を知っていると、相撲の見方が変わります。昔と違って大金を積まなければ相撲部屋に近づけないことはありません。近代的にファンクラブみたいなものがあります。ぜひひいきの力士のいるところや大都市なら自分の家に近い部屋の若い力士を応援することから始めると数年後にはいろんな楽しみが出てきますよ。