日報問題や加計問題が大事だという人からのコメントに対する藩論 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 ここのブログでは考え方が違っても礼節を持った文章で論理的に書かれているものであれば、大歓迎で掲載するようにしています。

 

 私としても反対派の意見を拝聴できる絶好の機会ですから。

 

 一昨日の記事に対するコメントが「かまちょ」さんから寄せられました。

 

>>>引用開始

 

> 野党はここに来ても日報問題や加計問題などを追及する姿勢を崩していません。

> 「全く無責任だ」と言わざるを得ません。

 いやそれは流石に論理の歪曲でしょう。日報問題も加計問題も民主主義を守るためには看過できない問題ですよ。


 国のために奉仕すべき政治家がこれを取り上げるのはむしろ彼らの責任であり義務です。
 

 それらについて一点の曇りなくきちんと説明責任を果たすでなく、小学生みたいな言い逃れをする安倍総理や菅官房長官がこれらの問題の解決を妨げているわけで、政府が一刻も早く透明で疑念の余地の一切ない明快な説明をしてくれることを願うべきでしょう。
 

 早く説明責任を果たして国が全力で安全問題に専念できる環境を作ってくれるよう望むばかりです。

 

>>>引用終わり

 

 皆さんはこのコメントを読んでどのように感じられたでしょうか?

 

 このかまちょさんは、「日報問題や加計問題も民主主義を守るためには看過できない問題」と言われています。

 

 どっかで聞いた論法ですね。

 

 二年前に集団的自衛権を討議している時に、反対派が「憲法守れ」と国会前でシュプレヒコールを太鼓をたたいてアピールしていた時のことです。

 

 あの時も拙ブログでは、憲法を守ることが大切なのかそれとも国民の命を守ることが大切なのかという趣旨のブログを書きましたが、今回も民主主義を守ることが大切なのでしょうか?それとも国民の生命・財産を守ることが大切なのでしょうか?

 

 このかまちょさんは、目的と手段をはき違えておられると思います。

 

 民主主義を守れば日本国民の生命や財産が危険にさらされてもいいのでしょうか?

 

 これを四字熟語で「本末転倒」というのではないでしょうか。

 

 これが前回も書いた「無責任な発言」なのです。

 

 自分の主義主張に添わなければ何でも反対というのは、生命の危険のない自由で平和な日本だから言えることです。

 

 北朝鮮で政権批判をすれば当然生命の危機にさらされるでしょう。

 

 国家の指導者の悪口を言っても何のお咎めもなく、野党の国会議員やマスコミは自分の後ろには国民がいると言って年上の為政者に対して無礼な発言や同じことを何度も聞いて大切な時間を浪費しています。

 

 国民の代表のように発言していますが、少なくとも私は「お前なんかに代表面されたくない!」と思っています。

 

 民主主義を守ると言いながら、数だけで決めるなんて民主主義ではない!という低能者がいましたが、かまちょさんの言う「民主主義」とはいったい何なのでしょうか。

 

 民主主義は今ある制度の中ではましな方なので、たくさんの国が採用していますが、これがベストな制度ではないと思っています。

 

 多様な意見が言えると言いながら、その人たちのために多大なコストを支払わなければならないからです。

 

 原発訴訟でCHINAの手先ともいえる活動家に扇動されて訴訟を起こし、一般国民の電気代を不当に上げているのに、敗訴しても何のお咎めもありません。

 

 ある程度の署名がないと公共の財産である電気を作る手段は止めることができなくすべきだと思います。

 

 原発反対の人たちが勉強不足と無責任な発言で多くの日本人とその未来が大きく損害を受けようとしているのをなぜ見過ごすのでしょう。

 

 福島第一原子力発電所の不幸な事故が地震が原因ではなく、津波が原因だったということはIAEAなどの調査でも明らかになっており、日本の裁判所でも津波が原因でそれが予見できなかったかが現在は争点になっているにもかかわらず、「地震大国の日本で・・・」という文章を見ると、ただのイメージで反対しており、何の勉強もしていないことがすぐにわかります。

 

 前回の地震でも震源地付近の原子力発電所は地震では何の致命的な損害はなく、予想を上回る津波で福島第一のみが事故を起こしたのに、すべての原子力発電所が問題のようにすり替えています。

 

 女川原子力発電所は付近の住民の避難所になっているし、IAEAの調査でも地震でびくともしなかった発電所に対してお褒めの言葉もいただいているのです。

 

 話が大幅にそれました。

 

 国家は何のために存在するのでしょう?

 

 私は國體(こくたい)を守るために存在すると思っています。それは日本国そのものを表し、そこには大多数の日本国民が入っています。

 

 ただ、どうしても必要があれば苦渋の決断で少数を切り捨て大多数の国民を優先することもあります。それが非人道的だとわかっていますが、それによってすべての国民に被害が及ぶようなことがあってはならないと思っています。

 

 民主主義も多数決によって決めるので、少数意見が切り捨てられます。そうしないと大多数の幸福が追及できないのです。

 

 「専守防衛」を順守すべしと主張されている私から見れば似非ヘイワ主義者の意見はまさにこれと同じです。

 

 これは常々ここで発言しているように、もっぱら防衛に徹するのではなく、本当は日本人が死ななければ反撃できないということです。

 

 つまり、何人か、何百人か、何千人か死ななければ反撃できないという手かせ足かせを日本人にはめているということなのです。

 

 今回の北朝鮮の弾道ミサイルをグアムに向けて撃つという脅しは、当然日本本土上空を通過します。

 

 広島や島根など具体的地名が出ています。

 

 でも、いつ何時そのミサイルが角度を変えて日本本土に落ちてこないという保証はありません。だからパック3が配備されています。

 

 数十キロの上空で迎撃するのですから、迎撃に成功しても破片が落ちてくることは十分に考えられます。

 

 そうしないためには、打ち上げる寸前に攻撃するのが日本国民にとって最良の選択となると思います。

 

 それが人道的にどうなのとか、いつだれがどの時点で判断するのかを国会で話し合うべきことであり、ただのいちゃもんにしかすぎない加計問題や内部文書の問題である日報問題が国民の生命・財産に優先するとは到底思えません。

 

 だから私はかまちょさんのような人を「無責任」と呼ぶのです。大切な命、大切な財産を外国の無謀な行為によって損なわないようにするために何をしなければならないかを話すのが国会の役割だと思うからです。

 

 私たちが守るべきものは「民主主義」でも「日本国憲法」でもありません。

 

 私たちが命を懸けて守るべきものは日本人の生命・財産であり、例え破壊されても元に復興できるようにすべきなのです。

 

 かまちょさんのような考えを持つ人たちも少なくありません。でも、自分たちの考え方がより多くの日本人の生命・財産を危険にさらしているのに気付いていないのです。

 

 これを機に少しでも多くの人が気づいてほしいと思っています。