3日(月)から昨日まで田母神閣下の北部九州行脚の支援オペレーションを無事終了することができました。
ご協力いただいた方にまずはお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
今回は、福岡県郷友連盟事務局長の稲葉氏、そして台湾研究会代表の永嶋氏と私が中心となって田母神閣下の健在ぶりを皆さんにお伝えする会でした。
昨年5月にこの三人が中心となって台湾の祭英文新総統就任式に田母神閣下を団長として行く予定だったのですが、拘留が長引きやむなく田母神閣下が不参加となりました。
それでも代わりの団長を佐藤守閣下にお願いし、この訪問団は大成功のうちに終了することができました。
その際に三人で田母神閣下の雪辱を果たす支援をぜひしたいと話し合っていたのでした。
拘留が長引き、さらに裁判の判決が5月22日まででないなど遅れに遅れてやっと昨日までの支援オペレーションになったのです。
この判決も、証拠は全くなく、すべて推認されるという「疑わしきは罰せず」の日本の裁判の常識からは大きく逸脱したものでした。
まさか愛国者の田母神閣下がこのような不当な判決(これをいうのは左巻きばかりだと思っていました)を受けるなど到底許しがたく、いろんな方にご協力をお願いしてこの三日間を乗り切りました。
月曜日は福岡空港につかれるとさっそく博多駅まで移動、そして新幹線で小倉まで行きました。
その駅は、北九州の同志である石橋孝三氏がお迎えのセンチュリーを手配していただき、大谷会館という鉄都の迎賓館だった由緒ある場所で愛国者の方々と昼食を囲みながら歓談しました。
その後は博多駅までセンチュリーで送ってもらい、私の車に乗り換えて佐賀県唐津市を目指しました。
若干早めに着いたので唐津の魂とも言うべき「唐津くんち」の曳山展示場にお連れし、盆正月は帰ってこなくても唐津くんちには帰ってくるという唐津っ子の心意気をご説明しました。
DVDの上映を観たのですが、そこに映し出されるお祭り風景にたくさんの若者がお囃子の笛や太鼓を演奏する様子をご覧になり、ここが他の地域と違うところですよと解説しました。
唐津では中学生や高校生くらいの青年がお囃子をするのです。次々に次世代に受け継がれていく熱いエネルギーを二人で確認しました。
その後、ホテルにお迎えが来て唐津の有志の方々と懇親を深めました。
その雄姿の面々は日本会議佐賀の唐津支部の主だった方々でした。この唐津支部の発足自体が5年前に閣下が唐津で講演をされ、ここには日本会議がないのかと言われたことにより、有志が結束し、日本会議佐賀の唐津支部を設立したという経緯があり、5年経った今でも岩本支部長や同志の藤原雄先生を中心に力強い歩みを続けておられます。
そのことを知った閣下はとても喜ばれ、自分が蒔いた種からここまで立派に育ててくれているということに感動されていました。
そして二次会まで参加され、唐津の熱い夜が終わりました。
そのころちょうど台風が九州を直撃するとのニュースが流れていました。心配された方々から「雨や風はどうですか?」とのメッセージをたくさん受けましたが、閣下は「嵐を呼び、嵐を吹き飛ばす男」で、ほとんど雨に濡れることなく3日間を終了することができました。
私も晴れ男を自認していますが、閣下と組むと台風も吹き飛ばしてしまったようです。
4日はもともと私が月に一度有田公民館で行っている歴史勉強会の日だったので、閣下にお付き合いいただき公民館でおじいちゃんおばあちゃんを相手にお話をしていただきました。
残念ながら、テレビではずっと台風情報が流れ、お年寄りの方々は足元が悪いと用心のために集まりが若干悪かったのですが、来ていただいた方々はとても満足されておかえりになりました。
公民館の近辺は雨も小ぶりでほとんど影響なかったのですが、テレビでの台風情報ばかり流すので、風評被害に遭ったと笑っていました。
そして夕方から福岡中央市民センターで講演会です。
このころは雨もすっかり上がり、蒸し暑かったのですが、大勢の人に参加していただきました。
講演終了後にいつものように質疑応答をしたのですが、なかなかいい質問が続出しました。
「今まで仕えた防衛庁長官や大臣の中で一番いいと思われる人は誰ですか?」という問いに、閣下は「久間さんです」とお答えになりました。
これは警察官が一人しかいない島にCHINA人が十数人上陸して島民が不安がっていた時に、その地域の司令官が訓練を名目に自衛官を派遣しました。
その際に防衛事務次官がCHINAに対して問題だと騒ぎ始めたところ、久間氏は「これでいいんだ!」と即座に司令官側に立ち、擁護された時の言葉に感動されたと言われていました。
そこで司会の私が「いい長官が久間氏なら、悪い代表も聞きたいですよね」と振ったところ、即座に「石破茂」と答えられ、会場が大うけでした。
「石破氏は軍事オタクのようですが、靖国神社には参拝をしたことがなく、その理由として地元の鳥取の護国神社にしょっちゅう行っているからと言っていたのですが、閣下が鳥取の護国神社行かれた時に、宮司さんに聞くと全然来ていないということを言われてまたまた会場は大うけでした。
閣下は現役の時も靖国神社の春秋の大祭に将官でただ一人参加されていたエピソードもお話され、会場から大きな拍手が送られていました。
チャンネル桜の水島氏が月曜日にまた閣下を誹謗中傷するような番組をしたそうですが、閣下は高級コリアンバーやクラブにはいかれたこともなく、まったくのでたらめだと強く言われていました。
これは会場からの質問で、「有名人でこの問題が起きて去っていかれた人を差しつかえなければ教えてください」という質問に対して、水島氏と三橋貴明氏以外はいないと明言されていた件から水島氏がチャンネル桜を使っての閣下に対する誹謗中傷を大変怒っておられました。
その後も憲法9条の加憲問題など有意義な質問が飛び交い、ここでも熱い雰囲気で終わりました。その後はお手伝いいただいた実行委員を中心に40名くらいで懇親会を会場を博多駅付近の「博多魚宴」に移して行い、いつの間にかみんなが終電を心配する時間まで熱く語り合いました。
三日目は、宗像へ移動し16時から宗像大社の正式参拝を同志と共にさせていただきました。
私と閣下のつながりはこの宗像大社の沖ノ島へお連れした時から急速に近まり、それからもう6年ほどになります。
世界遺産登録のため宮司さんはポーランドへ旅立たれたため、権宮司さんがその後の懇親会までお付き合いいただきました。
ここでも国民宿舎ひびきの戸波氏と宗像市の森田市議が中心となって愛国者を集めていただき、講演及び懇親会を実施しました。
この三日間で共通しているのは、有名人田母神俊雄ではなく、人間田母神俊雄をよく知ってもらうことが大きな目標であり、数よりも質にこだわっていたため、同志がさらに強固な結束を固めることができたと思っています。
福岡の会場では佐賀県から来られた方が黒い服を着て、懇親会にも参加する予定だったのに、参加できなくなったと残念がられていました。
「参加しないなんて珍しいですね」というと実は弟が亡くなって通夜に行かなければならないと言われ、こっちの方がびっくりしました。
往復二時間以上かかる道のりを来られ、閣下の元気なお姿を見たいとカンパまでお持ちいただいた久米さんありがとうございました。
このようないろんな方の熱い思いによって支えられた3日間でした。
ご協力いただいた方、御参加いただいた方々本当にありがとうございました。日本会議佐賀の唐津支部の皆さん、福岡県郷友連盟の皆さん、宗像のJCのOBや現役の有志の皆さん、ご協力誠にありがとうございました。
また個人で参加されたたくさんの方々とも熱い祖国に対する想いが結集した良い会ができたと思っております。
また今年中には行いたいと思っておりますので、今回を逃した方々はぜひご参加ください。
ちなみに今日はプライベートでご友人とゴルフの予定だったのですが、大雨で中止となりました。閣下でさえも、私的なことには天は味方しなかったようです(笑)