日曜日から昨日まで急遽台湾に出張してきました。
その時に耳に入った二つの悲しいニュース。
一つは八田與一技師の銅像の首が切られるという事件。そして保守の重鎮、私も影響を受けた渡部昇一先生のご逝去の報でした。
八田與一技師は台湾の恩人として日本よりも台湾で知らない人がいないほどの有名人です。
たくさん雨が降る台湾ですが、山が急峻なため降った雨が海に流れ出てしまうために、せっかくの雨が農業に活かせないという問題を抱えていました。
それを日本へ併合後インフラを整備中の台湾総督府内務局土木課の技師として任官した八田與一青年は、マラリア対策のために進められていた上下水道の整備事業に貢献し、その評価を高めました。
そして嘉南平野の灌漑事業を促進するために、当時として東洋一のダムの建設を指揮するのです。
映画「KANO1931海の向こうの甲子園」をご覧になった方は、大沢たかおがこの八田與一技師を演じていたのを思い出してください。
この映画は台湾映画でありながら、全編字幕が必要のないくらいに日本語が使われている感動の映画です。TUTAYAにもありますので、これを機にご覧になってはいかがでしょうか。
ちょうど私が台湾にいる時にこの事件が起きたのも何かの縁です。さっそく現地の人に聞いてみました。
台湾は親中派の馬英九政権から昨年独立志向の高い蔡英文政権に移り、蒋介石に関する評価の見直しが高まっています。
三度目の訪台でしたが、初めて中正記念堂に行って蒋介石の巨大な銅像を見てきたばかりの時にニュースを見ました。
なぜなら、この蒋介石の銅像が10年後にはもうないかもしれないと聞いたからです。
台湾全土に会った蒋介石の像が壊されたり、撤去されています。
それは馬英九政権の反動から台湾の独立を志向する人々の世論が高まっており、日本が去って国共内戦で敗れた蒋介石が軍隊を連れて台湾に逃げ込んだ際に昭和22年2月28日に起こした反対派への徹底的な弾圧事件の責任を問う声が増しているのです。
総統府の前には228平和公園があります。
日本の台湾統治時代にいて日本の教育を受けた人たちを本省人、そして蒋介石と共に台湾に移ってきた外省人といい、その反目がこの2.28事件を引き起こし、大勢の日本の高等教育を受けた人たちが処刑されています。
昨年蔡英文新総統就任式に列席させていただいた時のデモンストレーションでもこれがとてもセンセーショナルに描かれていたのが印象的でした。
それほど、外省人への恨みは強いものがあったのです。
蒋介石時代は反日が国是となっていましたが、その後の蒋経国時代から徐々に変わりはじめ、そしてその後に本省人から初の総統(大統領)になった李登輝閣下が平和裏に内省人と外省人を台湾人としてのアイデンティティーを植え付けながら融和させていきましたが、その後やはりその二つの勢力の対立は激化してきているようです。
外省人の旗頭はやはり蒋介石であり、その銅像は自分たちの支配の象徴となります。
ところが内省人の側からしてみれば、蒋介石たちは大陸からの侵略者とみなし、自分たちの親戚縁者を虐殺した極悪人なのです。
そして自分たちを豊かにしてくれた日本の象徴として八田與一技師の烏山頭ダムがあり、それによって嘉南平野を一大穀倉地帯としました。
そして八田技師は日本人と台湾人を同じように扱い、白人しか操縦できないと思われた巨大な重機を日本人と台湾人の隔てなく訓練させそして見事に使いこなしたり、難工事だったダムの犠牲者を日本人と台湾人の隔てなく慰霊碑に名前を刻んだりと技術者として同じ日本国民に接したのです。
そのため今では八田與一技師は独立派の象徴となっているのです。
でも、大陸から来た国民党から見れば、自分たちと敵対していた日本を崇めるとは許せない、そして自分たちの象徴である蒋介石の像が次々と壊されたり撤去されている現状に腹を立て、こういう写真のような首切りの行動にでたと地元の人は解説してくれました。
タクシーの運転手さんに聞いたところ、この犯人は次の選挙に出るつもりで売名行為だと言っていました。
こういう器物破損の犯罪を犯した人間が選挙に出られるのかと案内をしてくれた昔国民党政府から投獄された経験のある人に聞くと、いまだに国民党の力は強いので、この犯人は微罪または無罪となり、その名前を国民党支持者にアピールすることにより、選挙に勝つことを目論んでいると言っていました。
昨日総統府の見学に行きましたが、そこで案内をしてくれたガイドさんに今までの台湾の総統の中で誰が人気があるのかと聞いたところ、あたりをちょっと見渡して日本語で李登輝閣下を指さしました。
そして一番人気がないのはと聞くと蒋介石をこそっと指さしました。
これが台湾国民の総意というにはあまりにも少ないデータですが、電車の中で話した大学院卒の青年も同じように答えてくれました。
しかし、国民党の支配体制は隅々にまで及んでおり、密告制度が未だに存在するなど、簡単に内省人の思惑どおりにいかないのが台湾の現状です。
経済はだいぶ低迷しており、大陸との対等な関係を保つことが必要だと私が聞いた全員が言っていました。
自分たちは台湾人だという誇りは若い人を中心に確実に育っており、馬英九政権の際にひまわり革命のような若い人がネットで世論を広げていくという動きは今後も続きそうです。
ただ、若い人の就職難は現実化しており、これをどう祭英文政権が国民党の力の強い中で対処していくのが今後の課題だと思われます。
北京語でありがとうは「シェイシェイ」ですが、台湾語では「トウシェ」と言います。
町で日本人とわかるととても親切にしてくれますが、この「トウシェ」という言葉を言うと台湾の内省人の表情が破顔一笑しさらに友好的になることに気づきました。
今までの二回の訪台では、どちらかというと団体旅行でさらに幹事側だったので別行動できなかったのですが、今回は比較的時間があったので一人で街をうろつき、そして英語や日本語が通じるのでとても楽しく安全に過ごせました。
ただ地元の人が良くいく牛肉緬のお店に行くと注文の仕方がわからずに食べたいものが食べられないということがありました。
これもまた一興でした。
でも、お寺に行って普通旅行者は入れない納骨堂の中に警備のおじさんが入れてくれたり、足つぼマッサージを受けながら、台湾美人と談笑したりとたのしい三日間でした。
訪台の目的のビジネスもうまくいき、やはり韓国へ行くよりも台湾へ行く方が楽しいし、なにより安全ですから断然おすすめです。
渡部昇一先生のことはまた後日たっぷり書かせていただきます。なぜなら私を保守派として目覚めさせていただいたきっかけの方ですから。