今年、初詣は行かれましたか?
私は年が明けてすぐに近所の埴安神社に初詣に行ったのですが、すでにそこには数百人の行列ができていました。
その神社は決して有名な神社ではなく、地元の産土神さまでそんなに人はいないだろうという気楽な気持ちで言ったのですが、意に反して私たちが終えても次々に人が参拝に来られていました。
日中は孫と遊び、そして午後7時ごろから、筥崎八幡宮に行くと、そこにも大行列ができていました。多分二千人以上並んでいます。この神社は日本三大八幡宮の一つでもあり、有名な神社ですが、午後7時でもこんなに長い行列ができているとは初めてです。
フェイスブックを見ていても、神社の参拝の人が例年に比べて多いという感想を散見し、日本人も今年は波乱を予感し、なんとか自分の生活や家族を守りたいという気持ちがあらわれているのかなと思います。
外国に比べて日本が恵まれているのは、政権が安定していることです。
私たち日本人は今年きっと政権が安定している国家の国民であって本当によかったと思うでしょう。
周りを見渡すととてつもない波乱がいくつも起きそうな気配です。
アメリカ国内も関係国も未知のトランプ旋風がどのように吹きまくるか不安を抱えているし、CHINAは人民解放軍や公務員、銀行職員などのリストラが始まっていると宮崎正弘先生のニュースにも書いてあるし、韓国は自殺行為としか言えない集団ヒステリーが起きています。
北朝鮮はここぞとばかりに威勢のいいことを発進していますが、人工衛星で夜の北朝鮮を見るとそこには漆黒の国土しか見えません。日本は煌々とした電気の明かりで日本国の海岸線がほぼ見えているにもかかわらず、北朝鮮はブラックホールのようにほぼ真っ黒です。
近代戦は、竹槍や威勢だけでは戦えません。軍備を支えるエネルギーが必要なのですが、国民にまともに電気も供給できない国が近代戦を3日も継続できるとは到底思いません。
中東でもIS関連のテロが続き、正月も満足に祝えない国々が多数あります。
ロシアはプーチンという強力で国民からの指示も高い大統領が脆い経済をその指導力で何とか支えています。
では我が国はというと、安倍政権という近来稀に見る安定した政権が日本にはあります。
マスコミや一部の知識人と称する人たちが口汚くののしっているのを目覚め始めた国民は醒めた目で見ていますが、本人たちはまったく気づいていないようなのでますます滑稽に映ります。
この波乱含みの年明けに安定した政権が存在することは何と幸せなことでしょうか?
もし、あの東北大震災の時に菅直人のような売国奴ではなく、安倍晋三のような愛国者が総理なら、あっそういう時は大震災は起きないんでした、もうすっかり福島県も復興のゴールが視界に入っていた時期でしょう。
1ミリシーベルトいう科学的根拠が全くない避難勧告数値が大勢の帰宅困難者を生み出し、仮設住宅や住み慣れた故郷から離れた地で今年も正月を迎えることを余儀なくされています。
事故直後は、事態が把握できないために避難することは必要だったのですが、その後すぐに戻れる地域が多数あったにもかかわらず、菅政権のお粗末で非科学的でそして政権維持だけを考えたイデオロギーで決めた1ミリシーベルトの呪縛からまだ解き放たれていないのが福島県の風評被害を生み出し、大勢の人が元の生活に戻れずに苦しんでいます。
安倍政権で元の20ミリシーベルトに戻せばいいものをそういう動きがちょっとでも見えるとマスコミを中心に騒ぎ立てます。
放射線障害で誰も亡くなっていないし、子供の甲状腺がんの発生率も他の都道府県と同じか低いレベルです。これは免疫学の権威から聞いています。
でも、フェイスブックではいまだに奇形児がたくさん生まれているとか、福島の女性は妊娠したらいけないとか非科学的なデマが定期的に出てきます。
おかしいと思いませんか?もっと正確な情報を知りましょう。
まあこの問題はこの辺にしておいて、国内の経済状況に目を向けると、昨日妻がデパートの初売りに行ったのですが、人人人で疲れたと言っていました。
昔は「正月早々出歩くなんて」という言葉がありましたが、今では全くの死語になっています。
お正月の準備と言っていろんなものを買いだめしたり、現金を下ろしておいたりと大みそかまでは忙しく過ごし、明けるとのんびりしたものですが、今ではコンビニが休まず空いていますし、近所のスターバックスも大みそかから正月にかけて開いていました。
深夜に地下鉄も動いているし、正月の方が便利なくらいです。
私も結局は事務所に来た方が静かにゆっくりできるので出勤してきていますが、正月らしさというか風情がだんだん消えていっているのは時代の流れなのでしょうか。
昨日・今日と箱根駅伝を午前中に見るのが最近の恒例になっていますが、盤石だと思われた青山学院大学の7区の選手が体調不良で二位を走る早稲田大学の選手に追いつかれそうになる波乱もあり、ハラハラドキドキで応援に熱が入りました。
アナウンサーが7区の田村選手の走りを見て、「トップランナーの一人である日ごろの田村選手から想像もできない走り」と言っていました。
つい親目線で見てしまうのですが、親や祖父祖母、チームのなかま、友人たちは居ても立っても居られないほどの気持ちで応援していたことでしょう。
苦しい走りの中でも、肩にかけたタスキを何度も触りながら「自分一人で走っているのではない。」選手になれなかったみんなや応援してくれている家族などのことを考えながら走ったのでしょう。後続の早稲田のランナーが視界に入りながらもやっとのことでタスキを次の下田選手につなぎました。
全部を見ていたわけではありませんが、たまたま今回の駅伝のハイライトを見せてもらったようです。
そしてそこに見たのは、日本人らしい自分のために走るのではなく、仲間や応援してくれている他人のために走っているという姿でした。
顔はもう泣きそうになってくしゃくしゃになっているのですが、その必死に走る姿は美しく見えました。そして沿道の大勢の人の応援の声や頭に聞こえる仲間や家族の声に背中を押されてタスキをトップのまま引き継いだのです。
素晴らしい人間ドラマを正月から見れて幸せです。青山学位大学三連覇おめでとう!
復路の場合先頭が通過して20分経過すると、繰り上げスタートとなります。みんなの汗と魂が入った一本のタスキを繋ぐことができずに白いタスキを代わりに貰って見切り発車するのです。
必死で走ってきてもそこにはもうタスキをつなぐ仲間がいないのです。その選手の気持ちになるとまたぐっと胸がつまります。
これは交通量の多いこの道路をこれ以上閉鎖するわけにはいかない理由があるので、仕方ないのですが、ここでふとある考えが浮かびました。
餅つきが不衛生だとか、除夜の鐘がうるさいと苦情を言う人のために中止になっていく世知辛い世の中ですが、もし、交通の邪魔だという苦情が入ったらどうなるのでしょうか。
あれだけ人気の高いイベントをそんな苦情くらいで止めたりしないよと言われるかもしれませんが、個人の我儘が通る時代になってきています。
近い将来そういうこともあり得るのではないかと危惧しています。
だから、日本人としての伝統習慣を守って呉れる安定した政権が必要なのです。
自分の出自も国籍もよくわからないような人が代表をやっている政党や、どこの国のために活動しているかよくわからない政党に政権どころか力を持たせてはいけないのです。
日本人としての伝統習慣の大本がご皇室であり、それを尊崇する人たちがしっかりと手を取り合ってこの日本という国を護らねばなりません。
個人で走っているのなら、田村選手も足を止めたかもしれません。本当に苦しい表情をしていました。
でも、仲間と共に走っているという意識があるからこそ最後まで踏ん張れたと思います。
そこには大学のクラブという汗と涙をともに流したという仲間意識があります。
私たち日本人は2677年という長い歴史をともにしている仲間意識があるのです。
だからみんなでつらい時も苦しい時もじっと耐えてこれたのです。
こんな素晴らしい国を「多様性」とか「グローバリズム」とか「多文化共生社会」などというまやかしの言葉で破壊されてはたまったものではありません。
選挙で投票する候補者はぜひ正月に当たり前のように神社に参拝する人にしましょう。