国会答弁を見て | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 たまたま国会質疑をテレビである程度見る時間があり、ちょっと見ていました。

 一人は共産党の小池氏。もう一人は社民党の福島氏。

 二人とも生粋の売国奴だと認識していますが、私の習性として全くのニュートラルの状態で彼らの意見を聞くようにしています。

 すると、二人の共通点は実に堂々としています。発言が明快で断定的にしゃべっているようなので自信があるように聞こえます。さらに、相手が本音で答えられないことを質問して、答弁に窮するように見えるようにしています。

 つまり、このテレビの印象からは、

 共産党の小池氏は麻生財務大臣をやり込めているように見えます。

 社民党の福島氏は馳文科大臣をやり込めているように見えます。

 そう見ながら、自分だったらどう反論するかを考えます。

 小池氏はOECDのデータを示しながら日本の子供の貧困率が世界一だと言い放ちます。

 本音で答弁するならば、「あなたはアジアやアフリカの子供たちに比べて日本の子供たちが貧しいと本当に思うのですか?」と麻生財務大臣は聞き返したかったのではないかと思います。

 でも、そういうと大臣は日本の貧困問題を直視していない、無責任だと追及するでしょう。

 日本ではどんなに貧しい子供たちでもテレビを見てお風呂に入り、食べ物を口にしています。

 世界の貧困地域の子供たちは今日食べるもの、今日寝るところさえも不自由な人がたくさんいます。

 日本の子供の貧困率が世界一だとOECDの調査で行っているというのは、ただの数字のお遊びであり、何も実態を反映していないことぐらい誰でもわかるはずです。

 でも、共産党の小池氏はここにそう書いてあるのだと堂々と自分の意見を主張します。

 テレビの前の世界の現状を知らずに自分が貧しいと思っている人はああやっぱり政府が悪いと思い始めるかもしれません。

 福島瑞穂氏は慰安婦で日本の国益をあれだけ害した張本人ですが、大学の学費や奨学金のことについての追及を弁舌鋭くしていました。

 これは政府が悪いのではなく、終身雇用制度や年数と共に賃金が増えるという雇用形態から、能力給制度に企業が賃金体系を変えたために、ライフサイクルの支出曲線と収入曲線が合わなくなったために親が学費を賄えずに返済が必要な奨学金を借りて学校に行かせることとなったのです。

 30年前だったら普通のサラリーマンはここまで奨学金を借りずとも年々上がる賃金で子供の教育費を捻出できたはずです。

 いつの間にかきれいごとで社会の仕組みが出来上がってしまい、そのひずみが今噴出しています。
 
 女性の人権を大切にということで核家族化が進み、親と離れて家庭を持ったために年老いた親の介護の問題が大きな社会問題となり、さらに保育所の不足で若いお母さんの子育て支援が家族間でできなくなっています。

 「女性が家に入るなんて時代遅れだ!」「どうして姑のご機嫌をうかがわねばならない」「女性にだって自由が必要だ」と日本のお母さんを恐れたGHQの政策で核家族制度が普及し、家も大家族では住めないような小さな家ばかりになりました。

 同じ仕事をしているのに、賃金が違うなんておかしいという「同一労働・同一賃金」という一見よさそうなきれいごとですが、これなら独身の方が家族を持って子供持つ人よりも圧倒的に経済的余裕が違ってきます。

 すると結婚する人が減り、少子化問題となって人口減少問題となっています。

 家庭を構え、子供と一緒に暮らすことがどれだけ幸せなことかは実際その経験をしてみないとわかりませんが、自分一人で好きな時間に好きな人と好きなことをした方がその一瞬は楽しいのです。

 でも、本当の豊かさは子供の笑顔に包まれて暮らすことであり、それを実感するとどんなに豪華な食事をしていても空虚にしか見えてきません。

 私も豪華な食事をこれまで幾度となくしてきました。とても美味でその時はとても幸せな気分になりますが、今は宝物の孫と一緒に食べる食事の方がどれだけ幸せを感じることか。但し世話が忙しくて味を堪能することはできませんが・・・。

 3歳の孫と一緒に笑いあう時間がどれだけ貴重なものか、以前子育てをしている時にはまったく気づかなかった幸せな感覚を感じています。

 いま、まだお子さんの小さい読者の方はぜひその時間を大切にしてください。その時間が多ければ多いほど後で大きな助けとなってきますよ。

 福島氏の質疑では「どうしてみんな大学に行かねばならないのでしょう、大学は義務教育ではないし、他に道があるだろう」と馳大臣も言いたかったのかもしれません。

 大卒と言いながら基礎学力もなく、教養もない人がたくさんいます。それを親は苦しみながら学費を払っていたのかと思うとその人の親の苦労に頭が下がります。

 ほかの人がいくから当たり前、何を学ぶか、大学で何をするか、卒業してどうするか、どんなことをして社会のお役に立つかも考えないで大学に行って何になるのでしょう?

 それでもきちんと授業を受けて、いろんな学びの中から自分の進路を見つける人は大歓迎ですが、バイトに明け暮れ、政治活動や遊びに夢中の大学生を見ると時々つかまえて説教をしたくなります。

 話してもこれが大学生かというくらいあほな学生もいて、先生も大変だなとおもいきや、その先生も立派なあほだったりするのが大学の現状ではないでしょうか。

 そうはいっても心ある学生もたくさんいます。ああさすが大学生だと思われる人もたくさん知っています。その人たちが社会に出て社会のために働けばどれだけいい社会になるかと考えると日本にも希望が持てます。

 中山恭子先生が慰安婦の問題について質疑をされていました。先の日韓合意の不明な点を正し、日本の国益を内外に示された立派な質疑でした。

 日本国の国会議員であるならば、中山恭子先生のように国際社会で誤解を受けているようなことを総理に問いただし、日本の立場を毅然と世界に示せるような国会質疑をしてほしいものです。

 それを見た国民もただの揚げ足取りや誹謗中傷で終始する国会議員よりも、何が日本国や国民のためになるかを考えた質問をする議員を応援してほしいものです。

 活字で質疑を見るだけでなくもし時間があったら、ラジオでも聞けるはずです。車を運転しながら確認されたらいかがでしょう。バイアスのかかっていない生の雰囲気でその様子がわかりますよ。