また左巻きの言葉狩りが始まりました。
安倍総理が20日の予算委員会で発言した「わが軍」という言葉にいろんなところで過剰に反応しています。
まず基本的な疑問です。
軍と自衛隊とどう違うのでしょう?
憲法9条で交戦権を否定しているとはいえ、自衛のための戦争は否定していないために自衛隊がおかれ、20万人ほどの自衛官が日々訓練に励んでいます。
装備・練度・士気すべてにおいて世界一流の軍隊です。
日本では「セルフ ディフェンス フォース」と訳していますが、海外ではそんな言葉はないので、「アーミー(陸軍)」「ネィビー(海軍)」「エアフォース(空軍)」と呼ばれています。
祖国を防衛するために他国との戦闘を前提に軍事力を持つ集団を「軍」と呼んで何がおかしいのでしょう?
「わが軍」という言葉を否定する人たちは、日本が普通の国になることを嫌がる勢力の代弁者と言っていいでしょう。
自衛隊は軍隊だけど憲法の制約があるから「自衛隊」としかたなしに呼んでいるんだと無理やり思いこませている日本人は私だけではないと思います。
以前も書きましたが、アメリカの地対空ミサイルの発射訓練場に各国から実射訓練にきますが、自衛隊が部隊を展開している時も、撤収し終わった時もごみ一つ落ちていないそうです。
自衛隊員はそれが当たり前なので、どうして他国の軍人が驚くのか不思議でならなかったそうですが、他国の展開する部隊を見学に行ってやっと理解しました。
タバコやガムなどのゴミが散らかっていたそうです。
これは明治の初頭に長崎に入港した清国の巨艦「鎮遠」「定遠」を見学した秋山真之が発した言葉にも表れています。
日本国民を震え上がらせた7700トンの巨艦の内部は汚く、砲に洗濯物が干してあったのです。
これなら恐れるに足りないと東郷平八郎と会話する場面が『坂の上の雲』に書いてありました。史実だそうです。
10年後日清戦争で清国艦隊は日本海軍の敵ではありませんでした。
さらにそれから10年後の日露戦争の際にバルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊は、戦闘準備として艦内の私物や可燃物をすべて捨てさせ消毒させました。
それは、被弾してその破片が飛び散る際に汚れていると菌が傷口に入り込んで破傷風などになりやすくなるために、清潔を重んじているのです。
幕末の戦闘の時も維新軍は筒袖の軍服でしたが、幕府軍は古来の鎧を当初は来ていました。
しかし、鉄砲の弾が当たると鎧の破片が体に入り込むために治療がしにくいと後半は幕府軍も鎧を着なくなることが少なくなりました。
これは戦闘においては常識となっています。
そのため、規律と清潔さを極限まで追求した自衛隊に称賛の声が上がるのです。
では、どうした他国の軍隊はそうしないのか?
簡単です、訓練だからと言って手を抜いているのです。それを指導する軍の規律もありません。
でも、自衛隊は訓練でも一切手を抜かず、厳正なる規律は旺盛な士気を呼び起こし、それが強固な団結に繋がると日々訓練しています。
このように各国の軍隊が称賛する自衛隊は、誰が見ても軍隊です。
さらに、他国の軍隊が侵略してきた場合にそれを防衛する手段を講じれるのは自衛隊しかありません。
「わが軍」という言葉を嫌う人たちは、他国の軍隊が日本の国土に侵入し、日本国民の生命と財産を脅かそうとする際にだれがその任を持つというのでしょう?
これを批判した一人である民主党の細野豪志氏は、東京大空襲は国策を誤った結果だと発言しました。
これこそ問題にすべき言葉ではないでしょうか?
一般市民を極力巻き添えにしないように交戦規定に書いてあり、それを批准しているアメリカが無辜の民の頭上に無数の焼夷弾の雨を降らしたことは、日本の国策が悪かったから起こったと言っているのです。
私はこの言葉を聞いて、彼を政治家として絶対に許せないと思いました。
平和を愛する人たちならば、まずはこれに反応し、戦争反対というのも大歓迎ですが、最低のルールは守れというべきでしょう。
あたかも、同盟国のアメリカの原子力空母が入港して来る時は「寄港反対」とデモをしていた連中が、CHINAの船が来ると「熱烈歓迎」の横断幕をもって出迎えることに矛盾を感じないのと同じです。
沖縄県の基地反対運動や原子力発電所の再稼働反対デモでハングルや簡略文字のプラカードを見かけるのと同じ構造です。
自衛隊は日本の立派な軍事組織です。それを最高司令官の内閣総理大臣がわが軍と全幅の信頼を持って呼ぶのが何がおかしいのでしょうか?
またこれはシビリアンコントルール(文民統制)が働いている証拠でもあります。