がんばれ若人、大学駅伝の特集番組がありました。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 日ごろ殺人や事故のニュースが多い中、今日の加藤・テリー伊藤氏のスッキリはとてもいい特集をしていました。

 それは大学駅伝の名門校でありながら、昨年タスキを繋げなかった山梨学院大学の陸上部の特集です。

 名門だけあって部員数も100名を超えます。もちろん大学の陸上部ですから高校で活躍したエリートばかりが入部してきています。

 そしてそこからの競争で、ニューイヤー駅伝の16人のメンバーが選ばれ、そしてその中の10人が実際にレースを走るのです。

 番組では去年の悔しい雪辱を果たすべく自分に厳しい練習を課し、代表メンバー入りを狙うキャプテンを特集していました。

 しかし、ひざの故障もあり代表入りを果たせませんでした。

 彼が黙々と出場するために練習をする姿を見せていたので、その努力がきっと報われるよと思いながら見ていたので、その結果に私もそしてスタジオの加藤氏やテリー伊藤氏も絶句していました。
 
 現実は厳しいのです。

 100人を超える部員がおれが代表になるんだと思って練習しています。

 その中から代表メンバー16人を選ぶ監督が一番孤独で厳しい精神状態に置かれると思います。

 でも、母校の、チームの勝利のために心を鬼にして、ベストと思うメンバーを選んでいくのです。

 そして残りのメンバーは走る選手を徹底的にサポートする役割が与えられます。

 みんな高校ではスター選手として走ってきた人ばかりです。それが先輩や同級生、ときには後輩のサポートに回らなければならないなんて本当に現実というのは過酷です。

 中には4年生もいて、これが箱根を走る最後のチャンスだった人もいるのです。
 
 でも、出場メンバーは16人、そしてその中から当日には6人は走れません。

 ここまで見ていると、びりの人を作らないために、手を繋いで徒競走をする学校があるということを思い出しました。
 
 そういうことをするのは日教組が強い学校だと聞いています。

 じぃじや親の立場からするとわが孫や我が子が負けるのを見るのは忍びないものがあります。

 しかし、学校や幼稚園でそのようなぬるま湯的な教育をするのは誰のためでしょう?

 子供のため?

 いいえ、子供はすぐに競争社会に放り込まれます。

 親のため?

 いいえ、親もその現実を通ってきています。

 ではだれのためでしょう?

 私はそれは教師が楽をするためだけだと思っています。

 教育で一番大変なのが、勉強ができる子供にもっと頑張らせることではなく、できない子供にどうやってやる気にさせ、負けた子供にまた再び立ち上がり、挑戦させる意欲を持たせるかだと思っています。

 勝ち負けを明確にしないと、教育で一番大変な負けた子供や挫折した子供に対する教師の魂と魂のぶつかり合いをしなくて済むのです。

 番組では出ませんでしたが、選抜から漏れた4年生には監督や同級生が自分のことのように嘆き悲しんでいることと思います。

 そして選ばれた選手はその人たちのためにも命がけでタスキをつなぐことを考えていることでしょう。

 選ばれなくても、選ばれても大変なのです。

 英語のWINとLOSEは、全くの別物です。だからWIN/WINの関係が存在します。

 でも、日本の勝ち負けは別ものではなく、物事の裏と表です。

 表が勝ちなら、裏が負けです。

 どっちが出るかは時の運ともいえるでしょう。

 だから勝った者は驕らず、負けた者も卑屈にならないのです。

 勝った者は負けたものに対して「惻隠の情」を持って接します。

 負けた者は勝った者を「勝者として讃える」のです。

 勝負がついた時点でもう敵味方ではないのです。

 大相撲で朝青龍が勝ってガッツポーズをしてしきりに「横綱の品格」を問われました。

 その理由は、ここにあるのです。

 横綱といえば、人間にしめ縄を張っているのです。つまりそれは神の依代、神様が降りてくる場所なのです。

 その神様が降りてきた人間が私欲を前面に出してはいけないのです。

 神様が降りてきた段階で「無欲」の人にならねばならないのです。

 それは恐れ多くも天皇陛下の存在に近くなります。

 天皇陛下が私事を優先しているところを見たことがありますか?

 3.11の一周忌の慰霊祭の時に、その直前に陛下は心臓の手術をお受けになられました。

 その日程が、3.11の慰霊祭に出席できるようにするための体力を考えた上での日程に決められたと執刀した医者がインタビューで明かしていました。

 いくら名医が執刀したとして、80歳の高齢のお体にはとても負担が重いものだったはずです。

 普通だったらきついから、しんどいからと言って失礼させてもらうでしょう。
 
 でも、天皇陛下はご自分がそこにいるのといないのでは遺族の方や被災者の方へ伝わる気持ちが違うことを良くご存知なのです。

 だから、体は悲鳴を上げていたと思いますが、出席を強行されます。

 身近で一番陛下のお体のことをご存知の皇后陛下が心配そうに陛下の背中に手を添えられていた写真を見て涙した人も多いことでしょう。

 山梨学院大学の陸上部の学生がそこまでは理解していないと思いますが、でも心で魂でそれを体得しようとしているのだと胸を熱くして見ていました。

 それが教育ではないでしょうか?

 いつからでしょう、教育が知識の偏重になってしまったのは?

 覚えるのが上手でそれを短時間で再現できる人が成績がよく、程度の高い学校に行けるようになったのは。

 目先のきく人が偉いのでしょうか?

 世の中には地道にその人でないと作れない物を作る職人さんがたくさんいます。

 その人たちの多くは高等教育を受けていませんし、収入もさほど高くありません。

 でも、コンピュータが進んだ現代でもその神の手で創り出された作品にかなわないものがたくさんあります。

 人それぞれの役割・使命を果たしていくことがこの社会の、いや祖国のためになるのではないでしょうか。

 そのことを今日のテレビを見ながら感じ入っていました。

 どんなに偏向された教育を受けようとも、日本人として美しい生き方はいつの時代も変わらないということを教えてくれたような気がします。

 このような番組を朝から見るととても気持ちがいいですね。

 見ている人を幸せな気分にさせる、これもテレビ本来の番組のような気がしてならないのは私だけでしょうか?