東郷海軍大将元帥の今日は167回目のお誕生日で、福岡県にある東郷神社でお祝いの神事が行われ、出席してきました。
気温4℃ですが、海のそばの小高い丘の中腹にある東郷神社の境内は身が凍えるほど寒かったのですが、東郷元帥の遺徳を忍ぶ愛国者が多数集まられしめやかに神事が行われました。
この神事の存在を知ったのは昨晩で、福岡市から一時間ほど離れている宗像の地で九州経済産業局長さんらと飲んでいるときに、そこのホテルのマネージャーさんから教えてもらい、愛国者たちの集いですから、すぐに行こうということになり、また今朝片道40キロほど車で走って駆けつけました。
聞くと東郷平八郎海軍大将元帥を慕う元海軍軍人や海上自衛隊協力会、鹿児島県人会の諸先輩方が列席されており、そして寒い中地元の人たちが一所懸命にお世話をされて、会場の設営や直会の準備などをされておられました。
毎年12月22日はこの神事をこの東郷神社で行われており、ご興味のある方はぜひ来年のカレンダーに印をつけといてください。一緒に行きましょう。
この東郷神社は東郷元帥を崇敬する阿部正弘氏によって創建され、現在の宮司さんはそのお孫さんです。ただ孫と言ってももう結構妙齢になられています。
友人の浦辺登氏が卓話をされたのですが、そのなかで教科書に日清・日露戦争は日本の侵略戦争だとなっていると聞かされ、参加者一同から不満げな声が上がっていました。
浦辺さんは、ご自身の本で清国戦艦「定遠」のことを書かれており、この定遠と鎮遠の当時の日本にとっては第二の黒船事件ともいえる長崎事件がきっかけでそれから清国の脅威をなくすために10年間海軍を増強し、そして日清戦争で破り、清国の脅威を取り除いた国防戦争にもかかわらず、現在の学校の歴史の教科書ではそう書いてあると憤慨されていました。
まさにその通りです。
「長崎事件」とは1886年、つまり日清戦争が1894年に始まっていますから、約8年前に清国の戦艦が長崎港に入港し、水兵らが勝手に上陸し長崎の街を我が物顔で歩き回り、金品や品物を強奪、妓楼で喧嘩沙汰を起こし、日本の警官隊と衝突します。
鎮遠や定遠は当時の日本海軍の約4倍の排水量を持つ大型艦であり、その大きさに長崎市民は恐れおののいたといいます。
そしてその畏れた顔を見た清国の水兵たちは傍若無人に長崎の地で暴れまわるのです。
しかし、日本の警察官たちはほとんどが士族出身の人たちで一歩も引かずに衝突します。
その衝突で両国で5人の死者が出、百名弱のけが人が出るのです。
これは長崎の街という日本国内で実際に起こった外国の軍隊が日本の土地を蹂躙した殺傷事件です。
外国の水兵が他国の街で暴れまわるという国際的なルールを全く無視した暴挙です。
九州各県の警察署からも応援が来ますが、清国兵は日本が当時持っていない巨大戦艦を後ろ盾に一歩も引かない状況が続くのです。
今も昔も変わりませんが、彼らは強い相手にはペコペコ頭を下げ媚びへつらいますが、弱い相手には高飛車な態度を取ります。
チベットやウイグルでの漢人の傍若無人さをご存知の方はさもありなんと思われるでしょう。
知らない方は季刊「夢大アジア」をネットで購入されて、その実態をご自分で調べてください。その実情を知れば知るほど、CHINAの恐ろしさがわかります。
それを日本で、長崎でほんの130年ほど前に起こった事件です。
そしてそのことに警鐘を鳴らすために、当時福岡県の警察署長をしていた湯地丈雄が一念発起して、警察を辞め全国を行脚して募金を集めて足掛け20年の歳月をかけて福岡県庁の南側の東公園内に亀山上皇像を建立します。
その隣には日蓮宗のお寺があり、日蓮上人の像も立っています。
これは日本人がぼやぼやしていたら外国から攻め込まれるぞ、この福岡の地は元寇という二度の大きな戦に巻き込まれているにも関わらず何の記念碑がないと警鐘を鳴らすために、建てられた銅像です。
残念ながらその像が誰の像で、何のために建てられたかを知る福岡の人は少ないのです。
こういうことを教科書に乗せて教えていくことが国民の国防意識を上げるために必要なことであると思いませんか。
今日は東郷海軍大将元帥の神前で参加者一同と共に国民の国防意識を上げるよう各自が努力しようと心に決めて直会をしてきたことをご報告します。
日清・日露戦争にもし日本が負けていたら、いまごろCHINA語やロシア語が公用語になっていたかもしれません。
その前にイギリスやアメリカの植民地になっていたら英語が公用語になっていたでしょう。
そして大東亜戦争で先人たちが今の左巻きのように自分の命が大事だと逃げ回っていたら、いまごろマイクとかジョーという名前を名乗り、英語でしゃべり、神社やお寺でなくキリスト教会にいくバタ臭い日本人だらけになっていたでしょう。
そしてもちろん、左巻きが戦争責任を追及したがる「天皇陛下や皇室」はとっくに廃止されていたことでしょう。
先人たちは命を懸けて、日本のお国柄を守っていただきました。
私がこういう神事にできるだけ出席するのは、その模様を皆さんに伝え、みなさんの身の回りで細々とおこなわれている顕彰会を見つけて参加していただき、感謝の意を表していただきたいからです。
たった一人が増えても何の役にも立たないかもしれませんが、お世話をされている方々はその「一人」がとても嬉しいのです。
これから年末年始の休みになります。今年は暦の関係で長い休みになりそうです。
ぜひ、お近くの神社に行かれてお年寄りたちがお世話をされているのに声をかけていただき、ほんの一時間でもお手伝いしてあげるとまた違った心の温かさを感じることができますよ。
いつもこのブログで言っていることですが、自分ができる範囲でいいんです。
社会のために、地域のために、そして祖国のために何かできることはないかと探してみましょう。
かならず奉仕した心以上の何かを得ることになると思います。