巨星と言うと皆さんは高倉健さんのことを思い浮かべるでしょうが、福岡の保守層には辻幸男先生のご逝去の報の方が多いのではないでしょうか。
辻氏は、私がこのような活動に目覚めるはるか以前から憲法改正、拉致問題等を先頭になって走ってこられた福岡の保守の重鎮でした。
そしてライフワークの一つである三島由紀夫先生の遺徳を忍ぶ福岡憂国忌を40年以上にわたって主催されてきました。
ちょっと思い立ってイベントをするのではなく、40年以上も続けても全く衰えない熱意に誰もが尊敬の念を感じていたはずです。
私もやっと最近辻先生に認知されて喜んでいたのですが、昨日の逝去の報に接してあの激しい魂からの呼びかけが聞けないと考えると一抹の寂しさを覚えます。
今度の日曜日が今年の憂国忌でしたので、その日を目の前に逝くとはさぞかし無念であっただろうと思いをはせると胸の奥が熱くなってきます。
10年前福岡に帰ってきて、日本会議福岡の大会に参加させていただいた時に、長時間の講演会の後最後の締めとして車いすの丸坊主のおじさんが出てきたのを昨日のように思えています。
もう挨拶もそこそこに帰ろうとしていた時でした。車いすで前に来られ、そして松葉づえに支えられながら演壇に立たれたので、それが誰かも知らない私は、ただの好奇心でみていました。
するとその体の不自由なおじさんから発せられた言葉は私の魂にずばっと入ってきました。
日本を憂い、拉致された方とそのご家族の無念を嘆き、そしてマスコミの情報操作に警鐘を鳴らしておられました。
その心の奥底からの魂の叫びは嘘偽りのない他人のために命を投げ出す覚悟を決めた「志士仁人」の言葉でした。
今まであまりにもたくさんの空虚な言葉を聞いてきた私にとって辻先生の言葉はあまりにも鮮烈で激しく魂を揺さぶったのです。
今思えばあの時に辻先生の魂の叫びが今の私の活動の原点かもしれません。
会社を辞めて何をしようかと模索している時期でしたので、この人のように人のために、日本国のために生きる生き方は美しいなと感じたのです。
その辻先生から、数年前、自分はこのような人間だと自分の生き様を綴った冊子を戴きそれを読んでからはなおさら、辻先生に深い感銘を受けてきました。
激しくもあり、時に少年のような瞳で微笑み、みんなを包み込んでおられる姿は、まさに福岡にたくさんの若い活動家が存在する源ではないでしょうか。
人間の命というものは限りあるものとは知っていますが、道半ばに逝かれた辻先生は、現世の体の不自由さから解放されて、自由な魂となってたくさんの弟子の誰かの身体を借りてこれからも行動されるように思えてなりません。
辻幸男烈士のご冥福を心からお祈り申し上げます。
もう一つの高倉健さんのエピソードについて書きたいと思います。以前にもこのブログで書いたのですが、CHINA人にとって高倉健さんはもっとも有名な日本人であり、CHINA人の恩人と言われている人です。
それは「幸せの黄色いハンカチ」という映画がCHINAで上映された時のことです。
あのころは文化大革命の後遺症が色濃く残る時代でした。
文化大革命とはちょっと見はよさげに見えますが、死期が近かった毛沢東が自己の権力を復権しようとして始めた狂気の運動で、それにより人間の基本的な価値観を完全に破壊したのです。
反革命的なことを親が子に言えば、子は平気で親を告発し、社会で糾弾するのです。
知的な人ほど反革命的とレッテルを貼られ、みんなの前で怒号を浴び人間の尊厳を根底から奪うような行為が全国各地で起きたのです。
そのためもともと民度の低いCHINA人はますます人を信じられなくなり、家族を疑って過ごす日々を送っていました。
その時に日本から輸入された映画が高倉健さんの「幸せの黄色いハンカチ」でした。
そこには人が人を信じて待ち続けるという人間の根源の優しさが描かれ、それを実直な健さんは見事に演じていたのです。
その演技はCHINA人の心を打ち、もう一度家族を友人を信じてみようという気にさせたと言います。
それでこの程度かという話は別にして、CHINA人には人間の優しさ、美しさを思い出させてくれた名優という言うわけです。
まあ私にとっては辻先生のご逝去の報が大きいのであまり興味はありませんが、テレビで解散よりも大きく長い時間をつかっていたので大きな違和感を覚えています。
命というものは有限です。
だからこの命をどう使うかを真剣に考えて日々を生きようと改めて感じた一日でした。