いまだに強制性はあったという連中がいる | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 朝日新聞がウソ・ねつ造を認めて吉田清治の証言を否定したにもかかわらず、まだあの売春婦たちの心の傷とか言っている偽善者がいます。

 慰安婦という言われる戦時売春婦は立派な職業です。その売春婦になるにはいろんな人生の苦節があったと思います。

 しかし、ある時点でそれを乗り越えなければ仕事になりません。

 普通のサラリーマンだって上司の理不尽な職務命令にいやいや従っている人は大勢いると思います。

 日本には職業に貴賤はないという言葉があります。

 その職業が職業として成り立っているのは、需要と供給のバランスが保たれているからです。

 そしてその職業に従事する人たちを供給するシステムが確立されているからです。

 もし、左巻きの連中が言うように軍や官憲が強制的に朝鮮の若い女性たちをさらって連れていったとしましょう。

 一回目は不意を突かれて防ぐことができないかもしれませんが、次にはその対策を取るでしょう。村々では噂が流れてきて自分の娘をそういう状況下に追い込まれないように予防するでしょう。

 朝鮮ではだれも自分の娘を守る誇り高い父親がいなかったのでしょうか?だから20万人も連れ去られてもただ唖然と見ていたのでしょうか。

 そんなことはないはずです。どこの国でもどんな民族でも自分の子供を命を懸けて護ろうとするのが親という生き物です。

 20万人という膨大な数字を主張している連中は、当時の朝鮮人にはそのような誇りも親の愛情もないと言っているのと同じではないでしょうか。

 識字率が極めて低かった朝鮮人にハングルの普及を促進させたのは日本総督府でした。それまで朝鮮を牛耳っていた両班(朝鮮の貴族階級)は文字を一般庶民が持つことを極めて嫌っていました。

 これは日本以外どこの国でも普通のことでした。民主主義が発達して文字の識字率が改善したのです。

 なぜなら王侯貴族を中心とする政治体制の中で、一般民衆が知識や知恵をつけることは自分たちの支配体制を揺るがすものになると知っていたからです。

 でも、不思議なことに日本では文字が庶民にも普及していました。

 読み書き算盤が人間の基礎学力であり、これを身に着けてから初めて一人前の人間として遇されるのです。

 どうして日本では支配者が民衆の知識レベルを上げることに警戒心を持たなかったのでしょう。

 それは「君臣一如」という考え方が日本では一般的だったからです。

 自分たちの所属する村や郷土や邦(藩)が一つの家族だという考え方だったのです。
 
 ですから、農民は先祖代々の土地を護るか、または他の土地に流れるかは比較的自由だったのです。

 善政を敷く領主や大名のところに人が集まるのが一般的でした。
 
 私の好きな話に、加賀の前田公の宝の話があります。

>>>引用開始

前田公の富のお話

前田利家が賎ヶ岳の戦功により尾山城(金沢城)に入城する前夜の出来事としての言伝えです。

 利家と家臣らが、新たな門出を祝して宴を開いていたその夜、ほろ酔い加減の利家が月夜に照らされる城下を見下ろしていると、白い長いあごひげを蓄えた1人の老人がどこからもなくあらわれて、こう言います。

「私はある宝を持っておりますが、この城下に役立ててくださる方にお預けしたいと存じましてな。利家殿は、いかような宝をお持ちであろうか。」

利家が

「この城の蔵を埋めるほどの金銀を蓄えておる。」

と得意げに答えると、その老人は、

「それが利家殿の宝か。」

とつぶやき、ふっと姿を消します。

 

 翌日の夜、老人のことが心に引っかかっていた利家の前に、再び老人が現れ、

「利家殿はいかような宝をお持ちか。」

と問いかけます。

「我が宝は金銀に加え能登と北加賀の領地。」

と誇らしげに答えると、

「それが利家殿の宝か。」

と又つぶやいて姿を消すのです。

 

 次の日、利家は一番家来の村井長頼を前にして、老人の言葉を思い返していました。長頼に「殿、明日には七尾の皆様がこちらへお着きになられます。」といわれ、長頼の顔に目をやったところ、利家はハットします。その顔には、長年、利家に従った戦で受けたいくつもの傷跡がありました。

 その晩、利家は老人を待ちます。そこに老人が現れ、みたび

「利家殿はいかような宝をお持ちか」

と問いかけます。利家は、胸のうちが晴れやかに澄んでいくのを感じながら、朗々と答えるのです。

 「わしの宝は金銀よりも貴く、領地より豊かだ。前田一族と長年仕えてくれた家臣こそ、まことの我が宝なり」

 その途端、凄まじい風が湧き上がり、老人は

「利家殿、そなたにわしの宝を預ける。わしは、卯辰山の氏神。この城下が千代の世まで栄えるよう護ろうぞ」

と告げ、目も眩むばかりの光に包まれながら風とともに去っていきました。

>>>引用終わり

いかがですかみなさん、これが日本の支配者と被支配者の関係性をよく合わらすものだと思いませんか?

 ところが、左巻きの連中がいまだに信じるマルクスレーニン主義は支配階級と被支配階級の対立構造によって成り立っていると信じられています。

 支配階級の最たるものが皇室となるわけで、その皇室をなくすことが日本の民主化につながると考えているのです。

 これが共産党はもちろんのこと、社民党、民主党、そして公明党が考えていることです。

 共産・社民・民主の三党は、マルクスレーニン主義を基礎とする人たちの集まりです。

 言葉巧みに庶民のためとか言っていますが、彼らには毛頭そういう気持ちはありません。

 自分たちを支持する庶民のために活動しているのです。もしその人たちが支持しなくなったら、迷わずに処分するでしょう。

 彼らの思考法の中には「1」か「0」しかありません。だから人を友好者か敵対者に分類するのです。

 友好者だったらどんなに過ちをしてもかばいます。土井孝子が北朝鮮をかばうあまりに拉致など北朝鮮がするはずがないと明言したことを見ればすぐにわかります。

 朝日新聞も32年前はそうだったのです。最近までそうでした。 

 しかし時代の変化と共に、その社会主義的なイデオロギーだけでは新聞は作れなくなってきたのです。

 それで今回の謝罪となったわけですが、まだそれを受け入れられない人がたくさんいます。

 その人たちは自分の思想の根本に普通の日本人なら受け入れないものがあり、何か違和感を感じているにも関わらず、知識だけで思想を構築しようとした人たちであると思います。

 日本人の感性ではとても共産主義は受け入れられないものですが、それが知識人として理屈にかなっているから、または知識人としてそう思うのが当たり前であると信じ込んでいるのです。

 慰安婦は性奴隷?

 奴隷の定義は、ご主人様の所有物で労働に対価を求められないものと考えると、売春をしてお金をもらっているのなら奴隷とならないはずです。

 また日本の歴史上世界でも珍しく奴隷は存在しないのです。
 
 身分制度の違いはあっても人格を完全に否定するようなことはありません。

 だいぶ一般の日本国民も自虐史観の呪縛から解き放たれようとしてきました。もう少しです。

 皆さん、誇り高き日本を取り戻すべく一層の精進をしていきましょう。