戦争はしてはいけないという人(永遠の0考 ネタバレ注意) | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 永遠の0が大ヒットを飛ばし、たくさんの普通の人がこの映画を観に行ってくれています。中には、2回目3回目を観たという人も現れています。

 今までの日本映画でそんな映画ありました?

 私も12日に有志を募って鑑賞し、その後みんなで永遠の0を語る会を催します。会費は、すべて実費です。飲み会からも参加できますよ。メッセージをください。

 この映画を観て、感動した、でも、戦争は良くない、戦争は絶対にしてはいけないという人が必ず出てきます。

 だれも好んで戦争をしようなんて思っていないのですが、こういうことを言う人の心情の中に戦後に日教組の刷り込みが確実に入っていることに気づきました。

 それは、先の戦争は日本人が侵略したから起きたのだという発想の原点です。

 だから、日本人が戦争を起こさなければ、戦争は起きないと思っているのでしょう。
 
 そういう人に私はこういうようにしています。

 「戦争は一人でするもんじゃないから」

 すると相手は唖然とした顔をされます。そして、

 「戦争は相手がいて、その相手が日本に仕掛けてきて、自分の愛する人や財産を奪いに来てもあなたは戦争はいけないと言うのですか?」

 というと、ほとんどの人が「いやそれは・・・」と口ごもります。

 こういう人は覚醒をしていない普通の日本人だと思います。

 根っからの左巻きは、そういう時もちゃんと答えを用意しています。

 「私はどんなに乱暴され、何を奪われようとも、命さえ助かればいいと思っている」と。

 これを去年テレビで言ったのが、あの漫画家のやくみつるです。

 彼は以前は相撲協会の外部委員などをしており、クイズ番組にもその博識ぶりを披露していたので、好感を持ってみていましたが、その一言でこいつは根っからの売国奴だと思った次第です。

 自分の家が暴漢から襲われた時に、近くにある武器となるものを持って戦うのは男として当たり前だと思ってきました。

 そして、家族を護るために戦い、もし敗れたとしてもまたみんなで力を合わせて再び立ち上がることができます。

 体は傷つき、家族も無事ではないかもしれません。しかし、身体の傷を持ちながらも、家族でいたわりあいながら、心は一つとなることができるでしょう。

 しかし、戦いもせずに暴漢に蹂躙を許してしまっては、命は助かっても家族の絆はもう元には戻せません。

 戦術としての特攻を否定する方々がおられます。

 では、あの状況の時にほかにどんな作戦ができたのでしょうか?

 美濃部正海軍少佐のように、当時としては珍しく整備がうまくいかなった液冷エンジンを搭載していた彗星艦上爆撃機を知恵と工夫で運用して、大きな成果をあげた指揮官もいます。

 源田実氏のように各地に点在していた熟練パイロットをかき集め、紫電改の部隊を作って迎撃に成功した例もあります。

 しかし、これらは限定された局地戦で勝っただけであり、戦局という大きな視点からは、日本軍はもう手詰まりの状態でした。

 こういう笑い話があります。

 日本人の捕虜を集めてアメリカの兵隊がこの中で掛け算のできるやついるかと聞いたら、みんな大笑いしました。

 アメリカ人の捕虜を集めて日本の兵隊がこの中に自動車の運転ができるやつはいるかときいたら、みんな大笑いをした。

 この2つの寓話が象徴するのは、日本人で掛け算のできない人はめったにいない。アメリカ人で車の運転のできない人もめったにいないのです。

 そういうなかで、車の運転よりも圧倒的に難しい飛行機の操縦を限られた予算と資源の中で育成していくということはやはり無理があったのです。

 少数精鋭でやってきた日本軍はどうしても消耗戦になり時間が経過すると不利になるのです。

 そういうと、次に出てくるのは大艦巨砲主義に固執していたからという人が出てきますが、それは後世の後だしじゃんけんです。

 時代の流れの真っただ中では、ほとんどの人は物が見えないのです。

 私は原発事故の直後は、原発はもう不要だという竹田恒泰先生の口車に乗って信じてしまいましたが、その後どうもおかしいぞという疑問が生じ、いろいろ調べていくうちに、これはとんでもない大ウソだということがわかってきました。
 
 30年後も原発に頼るべきかということは別にして少なくともこの10年は原発を再稼働しなければ日本経済は持たないと言い続けています。

 放射能も高田純先生に出会い、きちっとした数値を教えてもらってからは疑問が無くなりました。

 来年の今頃までに3分の1の原発が再稼働していないと、消費税増税もあいまって、アベノミクスは失速するでしょう。

 話を元に戻します。

 このように大きな歴史の流れの渦中にいれば、見えないものです、特に当事者は。

 それを後世の我々がとやかく言うことは無理があると思っています。

 特攻での被害を米軍は戦後長い間隠していました。それほど怖がったのです。

 そして日本国民には特攻は無駄死に、犬死だと洗脳してきました。

 でも、彼らも私たちと同じ人間です。同じように青春を謳歌し、恋もしたかったに違いありません。

 その人たちが私ごとに背を向けて、公に向かって生きるという背私向公(はいしこうこう)という生き方を貫いたからこそ、私たちはその人たちの生き様に感動し、尊崇の念を抱くのです。
 
 富永陸軍中将のように特攻機を最後には俺も行くからと言って送り出しながら、自分はすたこらサッサと日本に逃げ帰ってきた人もいます。

 しかし、その息子は堂々とした態度で飛行機に乗り込み、特攻で散華した伝えられています。

 この富永中将は戦後生き延びましたが、自分の息子は特攻で亡くなり、自分の名誉も失い、どんな余生を送ったのでしょうか?

 宮部は自分が搭乗する飛行機のエンジンの不調を察知しました。この飛行機で飛び立てば、生き残る可能性があるとわかったと思います。

 しかし、隣にいる自分の教え子をみて、「もう逃げない、彼を護る」と思い、天を仰ぎます。

 そこには、妻や子の顔が浮かんだことでしょう。でも、彼は敢えてたった一つしかない命を自分が護ると誓った教え子のために捧げるのです。
 
 その教え子は、宮部の願いをかなえます。

 だから、最初の火葬場のシーンで号泣するのだと思います。

 映画は原作よりもよくできているのです。

 深く考えることのできる映画です。表面だけ見ないで、山崎監督の映画に込めたメッセージを掘り起こしましょう。

 戦争?嫌ですね。

 でも、自分の愛するものを守るためなら、私は敢然と武器を取ります。