戦争とは、兵器での殺し合いだけではない! | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 13日CHINAの南京市で行われた南京事件75周年記念式典を取材中の日本人記者がCHINA人に腰を蹴られ、マフラーで首を絞められたとヤフーニュースが伝えています。

 これは、式典の取材を終えた記者がパソコンで記事を書いている時に、後ろから「お前は日本人か」と言われて、暴行を受けたそうですが、もともとこのような式典を挙行することがおかしいと言わざるを得ません。もうすぐ、世界にその歴史の捏造が明らかになることを望んでやみません。

 汪兆銘という人をご存知ですか?

 知っているという方はかなり近代史にお詳しい人だと見受けます。若いCHINA人に聞くとほとんど99%以上の確率で知らないと答えます。孫文の名前は知っているのに、汪兆銘の名前は知りません。

 汪兆銘は孫文の正式な後継者と言っても過言ではない人です。その汪兆銘は民の幸せを考え、日本政府との和平を望み、日本政府との和平交渉を前面に押し出した南京政府を樹立します。

 彼は同僚だった蒋介石に「君を安易な道を行け、我は苦難の道をゆく」と手紙に残しています。当時としても日本と和平を結ぶのはCHINAにとって売国奴的行為だったのでしょう。でも、汪兆銘はこれ以上苦しむ一般民衆を見逃すことはできませんでした。

 その南京政府が誕生したのが、1940年3月30日です。CHINA側によると南京事件で虐殺された犠牲者の数は30万人と言われ、南京市は死体で溢れたと言われています。それが、75年前の今日、1937年12月13日です。

 75年前のことをしつこく言い続けるCHINA人がどうして二年後に親日政権の汪兆銘政権がそれもよりによって南京で成立したのでしょう?

 この質問を南京事件があったという人にぶつけてみても、目を白黒させるだけで何も答えることができません。CHINA人に至ってはその事実さえも知らない人がほとんどです。

 私はこれが実際にあったという人に次の質問を必ずします。

 「虐殺があったということですが、どうやってそんなにたくさんの人数を殺したのですか?」と。

 すると、びっくりしたようにして
 「機関銃で殺したのでしょう」と答えられます。

 「機関銃というのは、人を殺す道具ではなく、人を怪我させて戦闘能力を奪う武器ですが、30万人殺すためには何発の機関銃弾が必要なのでしょう?」と聞くと、ほとんどがお手上げ状態です。そこでさらに、

 「当時の日本軍の補給は馬、それも去勢されていない馬でしていたのですが、一頭の馬に積める軽機関銃の銃弾は2000発でした。ということは、連射する機関銃の300万発の銃弾を補給するためには、それだけで1500頭の馬が必要であり、その馬の食料も考えると2000頭もいるのですが、そんなに日本軍は軽機関銃の弾だけに馬を使えたのでしょうか」

 という聞くと、もう相手は何も言えません。さらに、

 「南京錠攻略作戦は、第二次上海事変で衝突した日本と国民党軍の戦いのあとに潰走した国民党軍を追いかけた掃討作戦で南京まで進軍したのですよね、どうして南京で泊まったのかご存知ですか?」と聞くと、もうほとんどの方がちんぷんかんぷんです。

 南京錠攻略作戦だけしか頭にありません。

 「どうして日本軍が南京で止まったか、それは補給が続かなかったからです。にもかかわらず、300万発を軽機関銃で乱射することができたのでしょうか?」というと相手はもう下しか見ません。

 たまに、銃剣で刺し殺すという勇ましい人もいましたが、30万人を銃剣で突き殺すということが本当に可能かどうか考えても見てください。その死体はどう処理したのでしょうか?

 厳寒の南京は土が凍っていたという記録があります。シャベルカーもない日本軍がどうやって穴を掘ったのでしょう?ガソリンの一滴は血の一滴と言われる時代にガソリンをかけて燃やしたのでしょうか?

 それを見ていた市民がどうして二年後に親日政権を樹立することができるのでしょう?
 
 それ以前に20万人しかいなかったと言われる南京市民を30万人殺し、その数ヵ月後には25万人の人口になっているのですが、CHINAでは人が魔法のように消えたり、湧いてきたりするのでしょうか?

 1938年に国民党の重慶政府の蒋介石総統が300回以上外国の新聞の記者会見を行いましたが、一度も南京の事件に触れていませんでした。それはどうしてかと聞いてもCHINA政府からは何の回答の得られていません。

 このように、戦争は兵器での人の殺し合いだけではなく、情報戦というのが存在するのです。

 純真で無垢な日本国民ほど、それに騙されやすい国民はないのです。

 それには日本語の語法も起因します。

 「レイプはあったか?」と聞かれると当然戦争で数十万の両軍の兵士が入り乱れています。レイプの数件はあったでしょう。それをYES またはNOで聞かれると、YESとしか答えられません。

 すると、「ほら、やっぱり数の多い少ないは別にしてあったのは間違いないでしょう」と鬼の首をとったように勝ち誇ります。

 レイプ(強姦)=重要事件という言葉の中に概念があり、それが聞いた人の頭の中で勝手に広がっていくのです。

 数万人の死傷者に比べれば、数件の強姦なんて小さなことです。命の方が大切ではないのですか?

 それも、日本軍兵士の犯罪だとは限りません。国民党軍兵士の方が軍規は緩みに緩んでいました。南京市の総司令官の唐生智司令官は部下をおいていち早く逃げ出していました。でも、督戦隊と呼ばれる兵の後方に配置された部隊の兵士は、前線から逃げてくる自国軍の兵士を撃ち殺すという役割を持っていました。これは、この時に限らず、CHINA大陸では、征服した国の兵士を前線で敵と戦わせるために、自国の元々の精兵は後方に配置することになっていました。

 今日のモーニングバードでは、沖縄県にある米軍との地位協定のことを取り上げていました。大学の教授が出てきて、こんなにひどいんだよと言っていましたが、テレビである以上その反対意見もつけなければ公平ではないでしょう。

 米軍に裁かせたら罰金刑で済んだからひどいと言っていますが、その後彼らは不名誉除隊にされているケースもありました。それは、アメリカ社会では大変きつい罰になるのですが、それは一切言いません。

 これも情報戦の一つですね。

 ここをお読みの方々はマスコミを信じておられないと思いますが、ぜひ、知らない人に教えてあげてください。

 日本未来の党の党首の嘉田知事は、北朝鮮のミサイル発射に際し、「冷静に」を三度使ったと阿比留記者のコラムで書いてありました。この北朝鮮の暴挙の反応をみて政治家を判断するのも必要だと思います。