遅まきながら、AKBにみる日本の文化論 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 AKBの総選挙が行われ、高い視聴率を取ったらしい。というのも私は誰が一位になるかどうかはまったく興味のないことだからです。

 ただ、この選挙のやり方はどうかと疑問を呈したい。CDを購入しないと投票用紙がもらえず、自分のお気に入りを応援するために、一人の人がたくさんの同じCDを購入して投票用紙を手に入れた後に、不要なCDは廃棄するという現象まで起きているそうです。FBでたくさんの人がシェアしていました。

 これこそ金権選挙でしょう? たくさんのお金持ちがAKBの一人に投票したら、実体とは裏腹な結果が出てしまいます。でも、仕掛け人側は、大量のCDの販売ができてホクホクという構図が見え見えなのに、それをする人たちがいることがわかりません。

 実際のところ、特定のお金持ちではなく、自分はバイトやフリーター生活をしながら、一所懸命貯めたお金でCDを購入している人もいるそうです。10万票以上を獲得しないとトップになれないとすると、自分の10票100票がどれだけの価値を持つかもっと冷静に判断したらいいのにと思う反面、そういう仕組みを作っているプロダクション側の悪意を感じます。

 ただ、競争のなくなった学校教育を考えるとこのように若い子達が切磋琢磨する姿は美しく感じられ、何とか応援したいと言う気持ちも理解できます。

 昨年の七夕の季節、今回トップを取った大島優子さんが電飾のついたジャンプスーツを着て、飛行機からスカイダイビングをする映像を見たときに、この子根性が据わっているし本気だと感じ、それから影ながら応援するようになりました。

 では、文化論的にこの現象を見ると、日本人は完全よりも未完のものを好む傾向があり、その未完の存在が努力して完全を目指すところに共感し、応援するのではないでしょうか。

 最近日本に来たアメリカ人などに言わせると、彼女達を見てもエンターテイナーとしてまだまだ未熟でどうしてこれが日本中の話題になるかわからないといいます。

 ところが、日本に長く住んでいるアメリカ人に聞くと、彼女達の努力や頑張りを見て共感を感じ、応援したいと思うようになるそうです。これは私のようなおじさんと同じ感覚なのでしょうか。

 一緒に育てていくという文化は日本の特徴で、政治家なども若く見所があるけれども、まだ未熟な人を応援して立派な政治家にするという楽しみもあり、これとAKBの人気と繋がっているのでしょうか。

 切磋琢磨するというのは、人間だけではなく植林する時も同じことが言えると植林の神さま宮脇教授から聞いたことがあります。「まじぇる(まぜる)、まじぇる」と口癖のようにいわれるのですが、一種類だけでなく、いろんな木を植えると一種類で間隔を取って植えた木よりも成長が早く、たくましい気にすぐになります。

 実際大宰府で異なる二つの方法で植林をした結果を見てみると一目瞭然です。一年で混ぜて植えた方は人の背丈以上に伸びていたのですが、単一種で植えた方はまだ胸のところでした。

 だから、競争することはいいことなのです。しかし、戦後の教育ではこの競争を「悪」として日教組が徹底的に排除してきました。どんなに学校で競争がなくなっても、会社に入れば、競争の連続です。その競争になれていない若者が会社を我慢できずにせっかく就職できた企業をやめていき、不安定な生活をするようになっているのです。

 でも、AKBのかわいい女の子達を見ていると、表面の華やかさとは裏腹に苛酷な環境に耐え、自分を磨いている様子がみえてそのがんばりにエールを送りたいとも思います。

 何のために、競争するのか?何のためにがんばるのか?自分だけよければ他人はどうなってもいい、とか思う人はどんなにかわいくても上にはいけていないようです。

 営業活動ということはわかりますが、投票用紙を得るために、同一人が大量のCDを買って終わったら道に捨てるということが起きないような工夫を考えてもらえれば、素直に応援できるのではないでしょうか。

 個人的には板野友美の小悪魔的な表情がすきなのですが・・・。