オウム真理教と被災材(ガレキ)の広域処理を反対する人たちとの関連性 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 寛仁親王殿下の薨去の報に接し慎んで哀悼の意を表します。



 菊池直子が捕まり、高橋容疑者の足取りがつかめかけてきました。これも、平田容疑者が自首してみんなの関心が戻ったからだと思います。

 あれがなければ、菊池容疑者はおどおどしながらも、人並みの幸せのようなものを手にしていました。結婚は正式にできないもののウェディング姿を写真に撮り、部屋に飾っていたという報道をサリン事件の犠牲者の方々はどうお聞きになっていたのでしょう?

 もし、私が遺族ならば普通の心情では聞くことができないと思います。というのもこの十数年間、どれだけ寂しい夜を過ごしたことか、どれだけつらい朝を迎えたことか、一家団欒という暖かさを一陣の風で吹き飛ばしたもの、それはオウム真理教という狂信的な集団の暴力行為によるものです。

 麻原彰晃(松本智津夫)という自己顕示欲が強いが何も社会では受け容れられなかった半盲目の男が、まやかしの宗教で高学歴の青年達を惑わし、自分の力を課題に見せることに成功し教団を創設しその根幹であった予言がはずれ、運営に行き詰ると仏教者としてあるまじき、自己に反省を求めるのではなく、他に因縁をつけ攻撃的になり、ひいてはたくさんの人を犠牲にした一連の犯罪行為を引き起こしました。

 私もはじめは松本智津夫の仏教に関する知識に凄いと思い、関心を持って聞いていました。ところが、「キリストの血のイニシエーション」とか言い出して、あれ?と思い始めました。

 神という概念を持たない仏教と一神教で他を排除するキリスト教を一緒にすることに大きな疑いを持ちました。それで懐疑的になっているとどんどんその行動のおかしさが見えてきたのです。やはりオウム真理教はおかしいと確信したころが後で考えればあの犯罪を犯していた時期でした。

 もっと詳しく言うと、仏教は神と言う概念を持たないために、始まりと終わりのない無限的な考え方。キリスト教は唯一神が生まれ、そして死んでゆく有限的な世界です。無限と有限が交わるはずがないにもかかわらず、それを同じに述べるところに矛盾を感じ、疑いを持ったのです。

 ただ単に人々の恐怖や不安、孤独、そして不信という「心の隙間」にたくみに入り込み、そして洗脳でその心を操っていたのです。

 人々の不安を巧みに操り、その恐怖心に付込んで行動させるというやり方は今の放射能で恐怖をあおり、日本人の絆を馬鹿にし、人を思いやる行為を否定し、自分のことしか考えない反日的な行動をしている連中に操られた人たちにどうしても重ねて見てしまいます。

 どれだけ放射能に汚染されていない被災材(がれき)と説明しても信用せず、どんなに過去の例を挙げても小さなレアケースで反論し続ける集団に似ています。その中心はきっと松本智津夫のような小心者の普通でも注目されない輩がたまたまセシウムを測るブログをしたら、人生の中でいままでなかったほどに注目されて有頂天になっているようにも見えます。

 人はとても弱い生き物です。一人では決して生きていけません。みんなで助け合い、苦しいこともつらいことも分かち合わねばならないのです。

 今日の産経新聞で東京都知事の石原氏と桐山管長との対談の中で、アメリカの戦闘機から追われて機銃掃射を受けた時の話が書いてありました。グラマンかムスタングかわかりませんが、翼についている12.7mmの機銃弾を子供が浴びれば、体は真っ二つになるほどの威力があります。きっと石原氏の周りには機銃弾による土煙が巻き上がっていたに違いありません。そしてアメリカのパイロットからははっきりと子供と見えており、それを面白がって狙っているのです。こういう話を私もいろんな人から直接聞いたことがあります。

 どうにかやり過ごすと、すぐに次の飛行機が来たそうです。石原氏はもうだめだと思ったそうです。しかし、その飛行機は撃ってきませんでした。それは子供を狙う卑怯なアメリカ軍機を追い払う日本の戦闘機だったからです。

 氏も私もこの戦闘機の操縦士がどこの誰かは知りません。その操縦士も自分が助けた少年が後に東京都知事となり、英霊に感謝し、日本人の矜持を思い起こさせてくれる人に成長するとは知る術もなかったでしょう。

 でも、その操縦士は同じ日本人として命をかけてアメリカ軍の戦闘機に追われている少年を助けました。その友軍の飛行機を見て石原少年は表現できないほどの繋がり(きずな)と感動を感じたそうです。

 これが日本という同じ国に住み、万世一系の天皇陛下を戴く日本国民の姿ではないでしょうか。

 こういう民族はどこにでもいるものではありません。私達は世界でもとても珍しい民族なのです。どんな時でも助け合うのです。自分が困っている時だからこそ、もっと困っている人を助けてあげることができるのです。

 毎日毎日オウムの報道が続くと思います。でも、辛抱してください。高橋容疑者が観念して自首するか、周りが見つけるまでは。それがあの一連の事件で犠牲になった人々への追悼の意を表すことになるのです。

 そして国民が関心を持ち続ければ、卑怯にも北朝鮮に強制的に連行された拉致被害者や特定失踪被害者も帰ってくると思いますが、私達が忘れて関心を示さねば、これらの被害者その家族には永久的に再会できないでしょう。

 みんなで関心を持つこと、これが民主主義の力でもあります。