小川法務大臣の資質を問う | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

産経ネットからの引用 
>>>小川敏夫法相は21日、閣議後の記者会見で、光市母子殺害事件で元少年の死刑が確定することについて「判決に対して法相としての意見論評は控えたい」とした上で、個人的感想として「最近は厳罰化になっている。凶悪犯罪が増えたというよりも、判決が厳しくなっている」
>>>引用終わり

 これは、小川法務大臣の個人的信条が死刑廃止→犯罪者の権利の保護→刑の緩和→治安の悪化→そして日本国の無秩序化を狙っているように思えてなりません。

 この光市母子殺害強姦事件で、亡くなられた母と幼い子の命の価値は、父親の本村さんによって、被害者保護法等の制定や加害者(犯罪者)保護の行過ぎに警鐘を鳴らし、左傾化し無秩序をつくりだそうとしていた日本の法曹界を正常に近づけた功績につながります。

 20歳未満だから死刑にはならないと誰に浅知恵つけられたかしないが、あの凶悪な犯罪者がほざいて、罪のないドラえもんまで登場させる左翼の弁護団の醜い顔をみながら多くの国民がおかしいぞと思った14年間でした。

 橋下市長が放送でこの弁護団のことを非難して、どちらかというとチャラけた茶髪の弁護士から一転して正義派の弁護士に変わるきっかけとなった事件でもありました。

 本村さんが遺影を法廷に持ち込めず、怒り心頭で涙で訴えていた姿は同じ子を持つ身としてわが事のように憤りを感じたのが昨日のようです。

 しかし、しょせん他人事。普段の生活に終われ時々こうやって報道されて思い出す程度です。しかし本村さんにとって、一日も心の休まることのなかったと推測されるこの長い年月を思うとこの法相の一言に慙愧の念にたえません。

 親子三人でつつましく小さな幸せを大切にしていた生活をしていた家庭を個人の欲望の為に突如破壊された人の権利よりも、少年と言う事で犯罪者の権利を優先させるような社会は異常だと思うのは私だけでないはずです。

 それを「判決が厳しくなっている」という法務大臣の発言の真意は何なのか?

 さらにこの人は、今国会中に人権擁護救済法案を提出したいと積極的に動いているそうです。

 激しい矛盾を感じ、怒りを感じました。

 この小川法務大臣の「人権」って誰の人権ですか?

 普通の暮らしをしている私達のような一般の市民の権利ではなく、特定のイデオロギーを持つ自分のシンパの「市民」の人権ではないのですか。

 日本は戦後アメリカ的民主主義を導入させられました。こんなことをしなくても、歴史から見ても日本が話し合いで何でも決めていく高度な民主主義国家であるということを理解していないGHQや左翼の連中の思惑によって無理やり押し込まれました。

 話し合いで物事を決めるのが民主主義であれば何の問題もなかったのですが、「少数意見の尊重」というのが癖玉だったのです。

 少数意見の尊重をするのは日本古来の「惻隠の情」からも問題なかったのですが、小数でも大きな声で言い通せば理不尽なことでも通るということが大きな問題なのです。

 これが通例化するに従って、サイレントマジョリティーと言われる一般の市民の声よりも、一部の「プロ市民」が徒党を組んで、学校では校長先生をつるし上げ、役所では上司をつるし上げて自分たちの思い通りにこの国を弱体化してきた一部の売国奴たちの思う壺になったのです。

 「個」の権利を「公」の権利よりも上にすることも大切ですが、それが行き過ぎると無茶なものになりますが、 サイレントマジョリティーはばらばらなために、一部の強固な団結を持つ勢力に牛耳られてきたのです。

 それが、本村さんとそれを支援する心ある人々の地道な訴えと世論がやっと気付いてきたために勝ち得た今度の上告棄却という「死刑確定」判決なのです。

 それに対して、この小川法務大臣は「判決がきびしくなっている」という言葉でコメントしたのでう。

 日本語は、主語が省略できる世界でも珍しい言語です。でも、ここではあえて小川法相にその主語を聞きたい。誰にとって判決が厳しくなっているのかと。

 彼と彼の一派の売国奴にとって人権とは、日本を貶めようとする勢力の人たちのものであり、普通に日本国民として誇りと喜びを持つ人人たちのものではないということがはっきりしたのです。

 こういう売国奴を許しておいてはいけません。

 日本国の明るい未来の為に治安の良さを誇る日本を正さねばならない時なのです。