新聞やテレビを見ていると、どうにも解せないことがあります。
視聴者をバカにしているのか、勝手に右と左に分けて話を進めていくのです。それによって、国民もすぐにレッテル貼りながら議論を進めていくようになっています。その真意の定義づけは何もしないで、マスコミや言論人といわれる人達の言いなりに、その舞台の上で議論をしてしまっているように思えてなりません。
たとえば、TPP.TPP賛成者はアメリカべったりだとか、反対者はCHINAよりだとか決めているのです。しかしいろんな人とじっくり議論をしていると、賛成派にも、アメリカ追従を容認しているのではなく、今の日本の農協支配の体制を崩したいから賛成していたり、反対派でも、CHINAもアメリカもない純粋に日本の食料安全保障上の面から意見を行っている人もおられます。
そもそも、食料自給率も40%という数字が一人歩きしていますが、今海外からまったく食料が入ってこなくても、日本国民は誰一人として餓死する人はいません。とうぜん、手に入らない食品は出てきますが、贅沢を言わなければ、そんなに困ることもないのです。
パーティや宴会終了後に大量に余る残飯も分母に入っています。賞味期限が切れたからといって捨てるお弁当も分母に入っているのです。つまりカロリーベースの数字です。これはウルグアイラウンドを何とか乗り切ろうと農水省が作成した数字のトリックです。
そして日本の農業は危ない、弱いとうそをついている知識人と呼ばれる売国奴たちのほうが危険です。日本の農業技術は間違いなく世界一です。収穫率をみても、安全性を見ても、味の面から見てもどれをとっても最高水準のものを作っています。だから世界各国から「オイスカ」に農業研修に来るのです。
流通の面で農協が本来の使命を忘れて自分たちの組織の存亡ばかりを考えているためにおかしいところはありますが、きちんとそこを整備すれば、ちゃんと農家も食べていけるし、後継者も育つのです。
でも、今のマスコミから垂れ流されるうその情報を聞いて育った若者がどれだけ農業に未来を感じているでしょう。おかしいと思いませんか?
原発問題でも、世界で当たり前の低い値の放射線は人間の健康によいとされている学説が日本のマスコミにはまったく出てきません。そして少しでも高い値を示したものが出てくるとパニックになります。
でも、皆さんお金出してラジウム温泉やラドン温泉に入浴しに行くのは健康になりたいがためではないですか?もちろん大量の放射能を一度に浴びると危険ですが、適度な放射能は問題ないのです。宇宙飛行士が地上にいる人間の何万倍もの放射線を浴びていますが、帰還すると健康状態は行く前よりもよくなっています。このことは、テレビのコメンテーターは一切言いません。
火力発電所だって、水力発電所だって環境を破壊しています。そのリスクを持ちながら発電しています。原子力だってそうだとおもいます。将来的には原子力発電に頼らないほうが良いと誰もが思っているはずです。
でも、現状は仕方ないと思っている人は、反原発?脱原発?
このようにマスコミはどちらかに決め付けるのです。
もっとわかりやすい例が、世界タイトルマッチで国歌斉唱といわれてたち大きな声で歌っていると、周りからじろじろ見られます。それでも気にせずに歌っているとだんだん周りの声を大きくなってきます。
つまり、これは国家を大きな声で歌う人=右翼だという刷り込みです。でも、街中で走っている右翼と呼ばれる街宣車のほとんどが在日朝鮮人だということをご存知ですか?
だれも石田梅岩などしりません。本居宣長なんて聞いたこともありません。古事記なぞ読んだ形跡もありません。それで、大きな音を立てて軍歌をながし、右翼は怖い人と国民に街頭宣伝しているのがあの装甲車みたいな街宣車です。
幕末の志士たちは、自分の命をなげうって幕府を倒そうとしました。片や幕府もそうはさせまいと抵抗します。しかし、最後は幕府の最高責任者である徳川慶喜公は自分や徳川家の対面よりも日本国の将来を考えて身を引きます。
こんな革命があったでしょうか。 だから明治維新は世界史上例を見ないといわれているのです。
カダフィ大佐しかり、ムラバク大統領しかり独裁者といわれる人達の末路は哀れです。ところが260年続いた徳川政権の最後の征夷大将軍は76歳の天寿を全うするのです。
さらに新撰組も現代人から人気があります。もちろん西郷どんや坂本龍馬も大人気です。
CHINAでは汪兆銘という孫文の後継者で民衆を戦火から遠ざけようと日本と和平を結び、共産主義を遠ざけようとした人の墓は暴かれ、遺体は辱められ、銅像にみんなが小便をかけるのが普通になっています。
この違いは何でしょう?
そうです、日本には2672年続く皇室がおられるからです。王朝が変わらないというのは、国家としての価値観が変わらないということです。だから、日本国のために一所懸命努力した人は必ず報われるのです。
新撰組はたくさんの浪士を殺しました。そのため薩長は近藤勇を武士の名誉を保つ切腹ではなく、打ち首にしました。しかし、一般庶民は新撰組を忘れませんでした。京都で乱暴狼藉を働いた薩長よりもそれを守ってくれた新撰組を支持したのです。
だからいまでも、新撰組も勤皇の志士たちも人気があります。両者とも日本のことを真剣に考え行動したからです。つまり彼らは日本大好き派だったのです。討幕派、佐幕派と無理に分ける必要なないと思いませんか。
それが、逆に物事の真意を見えにくくしています。
私は日本大好き派です。皇室を敬い、ご先祖様を大切する気持ちを常に持とうと思っています。右や左に簡単に分けられるほど、この世は簡単ではありません。でも、皇室というゆるぎない判断基準があるから日本人は3.11のような大災害でも平然とそれを受け入れることができる民族なのです。
日本の将来のためにいいものを常に発信していきたいと今年もがんばりますので、よろしくお願いします。