【ちょっと一休み】知識より智慧を教える教育へ | 井上政典のブログ

井上政典のブログ

 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

[ゆとり教育終了どう思う? ブログネタ:ゆとり教育終了どう思う? 参加中
本文はここから
 ゆとり教育こそ、日本の教育をだめにした元凶のように言われていますが、これは明らかに間違いです。

 それは、現在の日本の教育は知識の詰め込みをしているだけで、その量を減らそうが増やそうが何も関係がありません。それよりも、知識を集合させる大本(おおもと)がきちんと教育されていないのがおかしいのです。

 ペルシャでは、子供に教育する際に、
1.馬の乗り方
2.年寄りを敬う
3.うそをつかない。

 この三つを徹底的に教育するそうです。馬の乗り方というのは、生活の糧を得るための必要最小限のもの、日本で言えば、「よみかきそろばん」と読み替えてもおかしくないでしょう。

 年寄りを大切にする社会とは、思いやりにあふれた社会だとは思いませんか。これも日本にも十分通用します。

 うそをつかないも、日本人は「信」の一文字で生きてきたような民族です。100年以上続いている会社が世界一だというのも、この「信」があったからに他なりません。

 森信三先生は、しつけ三原則として、親に挨拶のできる子供にする。親に何かを言われたら「ハイ」とまず返事をする。そして、脱いだ靴はきちんとそろえる。と説かれています。

 親、つまり自分の命の源を大切にし敬う気持ちを持つということは、人間として当たり前のことであります。でも、現代教育では子供にも人権があるとか言って一人前に扱わないいけないとか、男女の性差別はおかしいと男の子にも女の子にも「さん」づけで呼ぶようになっています。

 これも、神様がどうして男と女を作ったかを冒涜しています。女は子を産まねばなりません。それも命をかけて。だから、男はそれを自分の命をかけて守るのです。だから、女らしくとか男らしくという言葉が生まれましたが、それも現代教育ではタブー視されている不思議な現状です。

 脱いだ履物をきちんとそろえるとは、自分のしたことにきちんと責任を持つことです。脱いだら脱ぎっぱなし、誰かがするだろうということでは、無責任な社会人しか育ちません。

 それを明治人の森信三先生は説かれているわけです。

 このような智慧をきちんと子供たちに教えている幼稚園や学校の子供たちは幸せです。天皇陛下がどれだけ私たち国民一人ひとりの平安を祈っておられるかをきちんと教えてもらっている子とそうでない子では、大人になったときにどれだけ違いが出るでしょう。

 3.11の震災で天皇皇后両陛下が被災地にお見舞いに行かれたときに、その威にうたれ、感激して生きる勇気が湧いてきた言われている被災者の方々をたくさん見ました。その人たちは、今までは皇室とまったく無縁と思って生きてきた人たちだったのですが、目の前に天皇陛下がたたれるとその長い歴史の積み重ねが一瞬にして理解できたそうです。

 たくさんの知識葉必要ないかもしれません。でも、きちんとした教育の原則と正しい歴史とくに神話の日本の始まりを知ることは最重要なことだと思います。