若い友人の結婚式に出て思ったこと | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 土曜日若い友人(和泉ちゃん)の結婚式に出て、なんかとっても若返った気
がしました。


 そういえば26年ほど前に私も結婚式をしたことを思
い出したのです。

 あの時は、みんなが集まってくれることは当たり前のように思っ
ておりましたが、今思えば、東京や大阪から、駆けつけていただい
ていたのです。こんなに時間が立って申し訳ありませんが、この場
を借りて感謝の意を評したくなりました。ありがとうございます。

 和泉ちゃんの結婚式に出て若返ったの言うのはこういう意味です
。若いときはなんと傲慢な性格だったのでしょう。自分でもあきれ
ます。今思うととってもいやなやつでした。
...
 ただ、経験を重ねていくと(早い話が年をとったということです
が・・・)昔の自分がとった行動の反省が出来るようになり、高ぶ
る感情よりも冷静な判断が少し出来るようになり、以前は表面しか
見えなかったものが、人生の裏側や舞台の内側まで見えるようにな
ったことでしょうか。


 これが丸くなるということでしょうか。

 それが総て正しいとは限りませんが、以前のような失敗をせずに
済むことでしょうか。

 年齢はさかのぼることはできませんが、せめてそのときに出来な
かった感謝の気持ちを持つとか、今後大きな禍根を残さないように
するなどの判断が出来る時間が持てました。


 若いときは、何度も同じ過ちをして反省をそのときだけして、また失敗を繰り返すということを平気で行っていました。失敗なんか恐れていませんでした。


 でも、人生の半ばを過ぎると、この道をこのまま行けば、大きな穴にはまるということを経験上予測ができるようになりました。どんなに、きらきらと輝いている道でも、その先にあるものは、大きな落とし穴であり、そこに入るとどうしようもなくなることが少しだけわかるようになってきました。


 特に沖ノ島に行ってからはその直感が強力になっています。


 もっと早くこの能力が身についていれば、今とは違った人生を送っていると思いますが、でもその時は沖ノ島の神様は受け入れてくれなかったかもしれません。


 そのころは、まったく沖ノ島に対して興味もお話のかけらもありませんでした。


 この年になって、二年間で四回もいけたのは、私に何らかの使命があり、それを果たすことが出来るような能力が与えられたのだと思うようにもなりました。その使命を果たすために、不必要なものはどんどんそぎ落とす必要があるように思えてなりません。


 そんな時間はわたしには無いように思えてなりません。


 それによって傷付く人もいるかもしれませんが、それ以上にたくさんの人を幸せにすることが出来ると思います。これこそ、「背私向公(はいしこうこう・聖徳太子の17条憲法の第十五条)」の生き方だと思うようになりました。


 ちょっとした結婚式に出席しただけなのに、こういうことを考える年になったのか、よく考えたなと自分でもびっくりしています。


 この三日間の私の心の変遷を書いてしまいました。