7月に郷友連盟福岡の主催の研修旅行に産経新聞の野口裕之九州総局長と共に参加しました。ご存知のように産経の野口裕之と言えば、軍事コラムニストの第一人者です。バスの中では、行きは私が福岡の歴史を中心に話し、帰りは野口総局長のお話を聞きながら帰ってきました。
古代史研究家原田大六さんが卑弥呼の墓と主張していた平原古墳や伊都国博物館などを訪問し、午後から大日本帝國海軍の小富士航空隊と秘匿基地である第六三四航空隊跡を訪問しました。
それは、私たちの先人たちのことを少しでも知り、それに感謝することがどんなにいい気分にさせてくれるのかを再確認した一日体験旅行でした。
海軍秘匿基地は住民と大日本帝國海軍が一体化し制空権をアメリカ軍に奪われた中、自分たちのできることを最大限に実施した場所であります。大日本帝國海軍は小富士航空隊の堂々とした飛行場をはじめとする軍事施設の隣にひっそりと第六三四航空基地を作りました。そこには飛行場があれば爆撃されるから飛行場の要らない水上飛行機を活用し、兵舎があればそこに基地があることがわかり攻撃されるから、民間人の家に分宿させてもらう。でも、一般の人々に迷惑をかけないようにと軍用の炊事場で1500人分を一斉に調理し、それを「めしあげ」に来た兵隊たちに食べさせたということは、いかに日本帝国海軍と一般の人々が助け合ってあの大東亜戦争を戦い抜いたかが垣間見える遺構でした。
ここから飛び立った水上飛行機は、爆弾を装着し、敵機動部隊のレーダーピケット艦を攻撃対象にしたそうです。このレーダーピケット艦というのは、機動部隊の目の役割を果たし、輪形陣を組んでいる機動部隊の一番外側にいる小型艦です。それを瑞雲などの急降下爆撃のできる水上飛行機が攻撃し無力化を図ります。そしてその穴の開いたところから特攻機が攻撃を仕掛けるのです。レーダーによる索敵を妨害し、友軍の文字通り命をかけた攻撃を支援する重要な任務を帯びていたのです。この基地には最盛期100機ほどの水上飛行機が隠蔽され米軍の探知を終戦まで隠し通していたのでした。
そういう歴史を知って、波もなく穏やかな入り江をじっと見ていると、ふとあの時代にタイムスリップしたような気分になりました。この海面を瑞雲が水を切るようにして飛び立っていく様子が目に浮かびます。空冷星型のエンジンの音も聞こえてきます。そしてたくさんの人々がその出撃を見送っています。みんな声をからして、搭乗員の無事と祖国に侵攻してくる敵の撃退を祈っています。そこには軍も民間もなくただ日本人がいる姿です。
ほんの六十年ほど前にこの土地で見られた風景でしょう。ここに立つとその光景を感じることができるのです。なぜならその方々の国に対する思いや日本人の未来に対する思いが私たちのDNAの中に刻み込まれているからだと思います。
その英霊に感謝しつつ日々の暮らしをおくる事、なんと平和ですばらしいものでしょうか。こんなに穏やかなそして美しい景色をすばらしい人々と共に過ごせた企画をお世話いただいた郷友連盟の諸先輩にまた感謝する一日でした。
でも軍民が一体となった日本はどこに行ったのでしょう?
昨日、日本の国会議員3人が鬱陵島への渡航を韓国政府から拒否され、日本に帰ってきました。相変わらず日本の国旗を引きちぎり焼くだけでなく、3人の日本の国会議員の方々の棺桶まで用意した本当にエキセントリックなデモンストレーションが繰り広げられました。私は文章を書く時にできるだけ横文字を使わないようにしていますが、かの国の人々の行動は到底日本語では表現できないから、カタカナ文字を使わせていただきました。
まあ、かの国のことをとやかく言う筋合いはないのですが、わが国の反応があまりにもだらしないと思います。政府の形だけの抗議、そして産経を除く新聞のほとんどやテレビのコメントが今ここでこういう摩擦を起こしてどうすると言うような意見も多数見受けられます。
しかし、この三人の日本の国会議員の方々がおられるからこそ、日本がまだ独立国であるということがわかると言うものです。
これを民主党政府はどう対応するか。その対応の仕方ではがれかかった化けの皮が完全に剥けて、情報に疎く善良な日本国民の前にさらされることでしょう。この三人の国会議員の方々の勇気に大きな拍手をお贈りしたいと思います。
新藤義孝衆議院議員、稲田朋美衆議院議員、そして佐藤正久参議院議員の方々、大切な尖兵の役割を果たしていただきありがとうございました。